都市ごとに民族単位ではまとまらず。
宗教でも、どことなく一貫性がない。
これがハッチの特徴である。
特定の民族集団を考えるのは誤り、なのである。
家ごとの商売では通商路は危険なので、異種族が連合を組んで通商したが。
特定の税金負担、集金機構があったわけでもない。
それは各地にいっぱいあっただろうが。
ハッチ帝国の影響が残るオリエントでは、特に通商は、砂漠や山岳地域が平野部より安全だったようだ。
しかもそれは、オリエントという「狭い地域で考えてはならない」のである。
アッシリアも文字通り世界帝国だった。
ハッチも同様。
通商は世界とつながっていたのである。
中心となる帝国が滅んでも、なおも軍隊はいた。
これは聖書にすら出て来る。
もっぱらハッチ人(ヘテ人)の武将たちが、オリエント地域で警護や戦闘に従事していたと。
すでに国はないのである。
北部や山岳地域ではアラム人たちも加わっての、しかし警護は軍隊規模だった。
そしてパレスチナ地域にも、シュメール語で司令官を意味するダビドウム役が居たのだ。
新興諸都市や古い種族なども、そのエジプト軍司令官を中心として、緩やかな連合を組み。
山賊やアッシリア軍の脅威に対抗していた。
バビロンは飢饉から一早く復興したが、またしても種族がアッカド系に入れ替わっていて。
アッシリアとも覇を競い合って。
時には征服されたり、したりも、していたようだ。
アッシリアの政治体制は、領域型、種族型である。
ハッチは基礎が根本から違うのだ。
そんなオリエントの状況の中で。
ハッチ・エジプト系の人々は、軍務中心にパレスチナや砂漠地域に広がったようだが。
ハッチ人は本国が無いので、軍務の帰属意識が上司だけだ。
エジプト軍も、衰退する本国と、だんだんと疎遠になっていく。
彼らの文化の中心地も、地中海沿いや二つの大河の川沿いのみではなく、砂漠に大きく広がってくる。
やはり各地域のエゴが台頭し、諸民族はバラバラになってしまう。
シュメール語で司令官を表す、ダビデ王を見習ったのだ。
「ヘテ人を危険な前線に追いやって、その妻を寝取る」という悪習。
ダビデという王が居たのかどうかも、はっきりしないのだが。
その子、ソロモンの頃が、古イスラエル時代の、力のピークであるようだ。
以後、ハッチたちも、歴史の表舞台から消えていく。
特定の種族としては全く見えなくなってゆくのだ。
「神々の秘密」は、これ以降特に、アッシリアの「唯一神の力に」飲み込まれていくのである。
古いイスラエルの実体は、不明のままだ。
だが。
アッシリアの息のかかった、ユダ族という連中が、これから台頭するのである。
ここが西洋の世界史と違う点。
ユダ勢力が、これから台頭。
つまり一神教に改宗し、アッシリアの庇護のもとで種族を存続させ生き残ろうとする、モーゼ直系の部族グループが、歴史の表に出てくる。
彼らは「アッシリアとともに出て来る」。
彼らは神々を打ち壊し、通商路に不当な税金を課した。
歴史を書き換え、文書類を破棄し、敵対する種族を根絶やしにしようと謀る連中でもある。
ベニヤミン族の一部もこれに同調し、彼らはユダ王国をつくっていく。
それはアッシリアの傀儡王権であって。
征服地を奴隷にして、カワハギして食料にしていく軍事力以外に、さしたる特徴はないのである。
末端の、彼らユダ族自身が、儀礼的にオチンチンの皮をちょんぎられ、奴隷である身分を記していた。
唯一神、アッシュールの奴隷。
対する北イスラエルは、もともと、まとまりのないハッチの伝統を受け継ぐ多民族集団。
雑然とした文化なので、これも目立った特徴はないので、考古学遺物は見つからないのである。
しかし彼らにも希望はあった。
ハッチ文化の末裔たちが経営する国家が、まだ山岳地域に生き残っていた。
少人数だが、ハイーク族の軍隊も残っていたのだ。
但し本当に少数派なのである。
しかし王族の自覚や、隊商擁護の自覚もあったようだ。
アッシリアの横暴に飲み込まれまいと、旗上げした。
ナイリ地域の初代の王、アラメアが高名である。
国名は美馬伊那という不特定地域だが。
これは今日、歴史認識上からもほぼ消えて、敵の地域名の呼び名ウラルトゥが有名。
恐怖の火の山、ウラルトゥ。
あるいはヴァンやウルミアという湖が上げられることもある。
太陽の女神、アラメアの名を持つ将軍。
本当は彼は男であったらしい。
ルティプリの子、アラム。
種族名をその名に持つ、敵のアッシリアや後の時代には美麗王とも言われる。
女装した将軍なのだが。
騎馬民族諸族の間では、女病は崇拝の対象だそうである。
なぜかアラメアシュとは、言わない。
他の王についてはハッチ同様、ルサシュ、イシュプイニシュとかサルドウリシュとかアルギシュティシュとか、アル・メヌワシュとか、シュを語尾につける。
アッシリアの同世代の王たちと比べると、ずっと長命なのである。
ウソかホンマかわからんような、アッシリア絡みの話が無数にある。
作り話が多い、ということだろうか?
朝貢か婚礼か、にかこつけて、アッシリアの王子を討取ったという話もあるみたいだし。
アッシリアの女王が、ご執心だった、という話もあるし。
その女王が殺したという話すらある。
なにがしかの真実はあるのだろうか。
ともあれ膠着語を持つ阿羅武という種族が山岳地域にいたのは確かで、堅固な城砦の跡もいっぱい残っているのだ。
独特の石臼も、大弓も知られている。
今日のオイラたちが持つ、独特の石臼なのである。
彼らは通商や遊牧の、しかし貧しい山の暮らしだったようである。
アッシリア軍の横暴に正面から逆らい、ゲリラ戦を展開して抵抗していた。
彼らはやがて、同じような境遇の周辺種族に知られていくようになり、諸民族の希望となっていく。
後に、覚悟を決めて殴り込んできたアッシリア軍に国土奥深くまで蹂躙されて。
逃げ回るが。
結果的に、その領域も大きく、それで拡大していったのだ。
まるで項羽や毛沢東のように。
アッシリア軍も、ウラルトゥ軍は恐怖の対象であったようだ。
火の山の名として敵の名を呼んで、それが今日に残っている。
ウラルトゥは今日、アララトと訛ってしまったが。
オイラたちには、コニーデの美しい富士より高い崇高な火の山だ。
頂が二つあるのである。
ハッチは消えたが。
姻戚であった多民族国家ビバイナは、王族の自称ハイ族とともにオリエント世界の強国として躍り出て来る。
犬のような種族、遠い、後の隼人と同一種族だとオイラ勝手に思う。
彼らは阿羅珠の軍旗を立て、それがオリエントの希望となった。
過去に、ハッチ・カッシュ連合軍がバビロンを襲った時の軍旗であり。
そしてもっと大昔に、敗北してシュメールの王名表を閉じた時の旗。
諸種族が離散したときのアラタマ旗。
その旗のもとに諸民族は集まり。
対アッシリアの包囲網は出来上がっていく。
実際には、共和国アッシリアのほうが強かった。
大同同盟した彼らは1国、また1国と、個別に潰されていったのだ。
ハッチ系の国のみならず、フルリ人の国も、北イスラエルの、雑多ではっきりしない諸国も、次々と壊滅。
皮むきの悲鳴は巷に溢れ。
いわゆるイスラエル十部族は、アッシリアに奴隷として拉致されて。
その地域には別の奴隷部族、サマリア人が入植させられたという。
エジプトすらもアッシリアの軍門に下り。
ウラルトゥも、その国土の大半を失って北に逃げた。
アル・メヌワシュ、つまり長子メヌワはアルメリア領域へ逃げて。
帝国の首都をトウシュパから遠いエレブニに移動させ、抵抗を続ける。
アッシリア辺境スバルの地域からも遠く離れ。
力の差は歴然だった。
八民族の連合勢力は、風前の灯。