今日でも、その地域には「少数民族ウラルトウ人」が生き残っているのだ。
なぜかアッシリア語を話す。
言語的にも文化的にも、何処から見てもアッシリア人なのだが。
彼らは自らをアッシリアではなく、栄光のウラルトゥ人だと語るのである。
多民族集団が去ったあと郷里のスバルトゥに居残った、本物のウラルトゥ人なのだ。 アッシリアから亡命していたスバル人もと奴隷の、反体制主義者が大勢いた証拠。
北方の異種族を討伐し、エレブニに本拠を移して後のウラルトゥ王族は。
実は腐っていたのだが。
アッシリアから逃げ出した人々がウラルトゥ軍を支えていた。
アルメニア人など、新たな周辺の異種族も加わり。
キンメリア人と言う、新手の寄生種族に王族が背乗りされてて。
内部分裂を繰り返し。
その、極少数勢力であったキンメリアに、どうやら支配王族が征服されたらしいことも分かってきているらしい。
卓越した軍事技術のみならず、姦計にも長けた、征服王朝の小種族であったようだ。
ウラルトゥのパンクシュは、首都での王朝の交代劇を、承認しなかった。
対アッシリアの前線にいてアラタマ旗を守る軍団は、自分たちの王族を捨てたのだ。
但し食料や武器補給のあては、ほとんどなくなっていた。
もはや対アッシリア戦争での、敗北、前線での玉砕は、目に見えていたのだ。
ときに皇紀元年。
彼らは対アッシリア戦争の継続とその糧秣確保のため、好きでもないバビロンに交渉したはずだ。
バビロンの彼らがアッシリアと袂を分かって、対アッシリア独立戦争していたからである。
が、返事はたぶん素っ気もないものだった。
パンクシュは、遠い遠いメディア帝国の首都に、使いを送る。
そしてメディアに、広大な自国の国土をそっくり譲り渡す、そのことを伝えたのである。
ハッチ時代の過去の同僚、マンダ族の子孫たちに。
これは実は、遠方のメディアにとって、あんまりいい話ではないのだ。
遠い、何世代にもわたっての戦争で負けかかっている広大な地域を、軍需品と交換で譲り受ける、という話なのだ。
帝国の領地は増える。
しかし、食わせる責任を負う人々が増えてしまうと言う事であって。
つまりは対アッシリア戦争への、食糧・武器の新供給先に仕立てられるという訳だ。
しかし遠い過去のことであっても。
同じ軍団で、ともにハッチ王ムワタリシュのもとで戦った同僚。
手持ちの、なけなしの食料、武器を出し。
メディア王は、快諾した。
遠い新領地を目指して、騎馬の全軍で進軍したのである。
メディア軍の主力が動いたので、力の回復してきていたバビロンも、好い機会だと動いた。
エジプトもまた、これを逃してはと、独立のために立ち上がった。
無数の部族や小国家が、対アッシリア戦に呼応して立ち上がった。
強大なアッシリアは軍事力が、たこ足状態だったのだ。
しかも、本国との連絡網もちゃんと機能していなかったのだろう。
あるいは、見えてないほかの要素が、いろいろあったのかもしれない。
アッシリア全土の堅固な諸都市は、諸種族の四方からの猛攻の前に、あっけなく次々と陥落した。
極度に古く、古代世界に君臨していた強権共和国の崩壊の話は、ほとんどない。
それを滅亡させた人々の話もである。
灰燼の中から、キリスト教のもととなる教えが生まれて来たくらい。
キリスト教は、西暦紀元年生まれでも4年生まれでもない。
しかも生まれはエルサレムのエルバアル教でも、バビロンのマニの時代でもない。
より古いゾロアスター教などの時代でもないと思う。
ずっと古い、この年代のアッシリア界隈だと、オイラは思っている。
主の去ったウラルトゥの領域に、大きく広がっていたからだ。
囚われていたイスラエル十部族も、生き残りが解放された。
しかし彼らには自分たちの国土に居座るサマリア人を追い払う力もなく。
国土を同僚に売り渡したアラム人とともに、いずこかへ去った。
バビロン軍は、余力でアッシリア傀儡の国ユダを討伐したので、今度はユダ族が、バビロンの虜囚となった。
ハッチの八民族は、その後どうなったのか?
彼らは東へと去って。
やがてシュメール語を話す人々は、オリエント界隈には1人もいなくなっていった。