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最近描いた絵です。
きっとこのブログを見に来ている人も少ないことでしょう。 状況後、WEB制作、ネイルサロン、不動産業を営もうとしている企業へデザイナー就職。 以前の日記で書いたとおり、ネイルサロンの電話対応、通常の電話対応、通常の事務作業などをこなしながら、広告を作成したり、WEBサイトを一人で制作しておりましたが、いろいろあって転職を決意。 モバイル業界でWEBデザイナーとして就職。 現在は、スマホやガラケーのWEBコーディングを行いながら、ページ用の画像制作、ゲーム用背景画像の制作、アイテム画像制作、キャラ絵の修正・監修、企画資料の作成などを行っています。 以前の会社に比べて、ゲーム業界でイラスト制作に近づけたと思います。 社内でイラストを制作している部署もあり、横目でちらちら見ながら勉強させてもらってます。 なるほど、企業ではこういうものが必要とされるのか。と非常に良い経験を得ています。 入社当初は、急速の成長とともに新規アプリの怒涛のリリースを行われており、残業が多かったです。 上司に当たる、人間は多(分忙しさのあまり)上司としての役割を果たしてくれず、投げやりな感じでした。 激動の日々で人間関係もつらかった中、隣にいた同僚の女性と仲良くなりました。 私よりも6歳ほど年上のお姉さんです。韓国から来てエンジニアをされていました。 とても仲良くしてくれて、おいしい韓国料理屋さんやコスメ屋さんを教えてくれたりと、退社も一緒にしたりしていました。 来年結婚する予定だけど、今の彼氏でいいのかなど、悩みを話してくれたり、私も本当はイラストが描きたいですなど、心から語り合える仲になりました。 初めてでした、仕事でこんなに仲良くしてくれる人は。とても嬉しかった。 この日々を大事にしようと思えました。彼女のおかげでつらい日々も何とか乗り越えることができました。 しかし、去年の12月、彼女の体調が悪くなり、入院しました。 彼女は、いつも遅くまで残業をしており、私も一緒にいました。 きっとそれが体に響いたのだろうと思いました。 入院しようとしている前、急に息苦しくなり動けなくなり、彼氏におんぶして貰い病院へ急行したそうです。 病院で診察したところ、即入院。この状態で生きているのが奇跡と言われたそうです。 そして、緊急処置をして1ヶ月ほど入院するとの連絡が私のスカイプにきました。 私は、心配で仕方なかったのですが、連絡が来てほっとしました。 お見舞いに行かせてほしい!といったのですが、彼女は人間になってから来てくださいといいました。 ご家族もこられているだろうし、きっと、もっと元気になってから行った方がいいのかなと感じました。 彼女が入院する前にリリースされた新機能が、ユーザーに公表だったよと伝えました。 しかし、彼女から返信がありませんでした。きっと私が仕事中だったのを気を遣ってくれたのだと思います。 その後、連絡が途絶えました。私も残業続きでもあり、彼女にもメッセージを送りすぎても申し訳ないなと思って連絡をしていませんでした。 しかし、彼女の体調は急変。肺の血管に血栓がつまり呼吸困難に。 それを知ったのは、三日後。同じチームの彼女の上司にしつこく聞いてやっと教えてくれました。 教えなかった理由は、入院している彼女の両親から周知しないで欲しいとお願いされていたからだったそうです。 ですが、私も彼女の親友。何かあったら、教えて欲しい。と伝えました。 後日、会社で忘年会がありました。 ですが、私は彼女のことが心配で楽しむどころではありませんでした。 国も違う、ご両親は日本語が話せない。上司は同じ出身だったので、コミュニケーションを取れます。 とても、もどかしかった。私には何もできなかった。今まで一番近くにいたのに。 そして、一番考えたくなかったことを彼女の上司から伝えられます。 クリスマスの朝、彼女のもう一人の友人から「もしかしたら、もう最後かもしれないから、会いに来てほしい」と彼女のご両親が言っていると電話で知らせられました。 急いで支度して、教えてもらった駅に直行します。 その駅で、同じチームの数名、仲が良かった方と合流。 バスに乗って病院に向かいました。 電話をくれた友人は、先に病院についており、彼女の母親と迎えてくれました。 面会待合室に、案内されて座っていましたが、気が気じゃありませんでした。 だって、実現してほしくない未来が予感が、目の前で待っていると感じたから。 いよいよ順番がきて、彼女と面談を待合室をでます。 病院の廊下を歩きながら、夢であってくれと何回も強く願いました。 たくさんの医療機器が置いてある、病室に彼女がいました。 彼女の体は、膨れており、面影で彼女だとすぐにわかりました。 そして、その状態から彼女の意識がまったく無いということがわかりました。 これまで我慢していた涙が溢れて来ました。 髪を見たら、きれいに染め直してありました。 私が、「今度は少し暗めの茶髪でイメチェンしてみたらどうですか^^」 って言っていたのを思い出して、余計につらくなりました。 そして、脳死状態だと知りました。 その日、他の面会者が帰ってから、彼女の友人と私で、日本語がしゃべれない彼女のご両親に食事を持っていったりしました。 情けないことに、私ができることは、それくらいでした。 帰宅後、私は何もできませんでした。 帰っても泣き、風呂でも泣きました。 数日後、彼女をどうするか決めるために、彼女の兄が来日して決めると聞きました。 彼女の両親から彼女の兄のメールアドレス宛に、彼女が写った写真を送って欲しいと、お願いされていました。 携帯に入った動画と写真をまとめて、少ないなと悲しくなりつつ、彼女の兄に送りました。 google翻訳で、日本語を韓国語に変換して送りました。 意味のわからない言葉にならないよう、何度も変換しなおして送りました。 写真とともに、諦めないで欲しいと入れて送りました。 こんな時に返信が来るかわかりませんでしたが、返信してくれました。 3回ほど、諦めないで欲しいこと、回復した事例の記事を送りました。 しかし、彼女の兄は、「もう決意しているんです。ごめんなさい。ごめんなさい。」 と返信してきました。 「その決意」がどういう意味か私は悟りました。 次の日、彼女の友人からスカイプで、「人工呼吸器をとるって・・」と連絡が来ました。 勤務中泣きそうになりましたが、我慢しました。 きっと悲しいのは私だけじゃない、チームのみんなだってそうだと。 年末私は故郷に帰る飛行機を予約していたこともあり、彼女の葬儀に出ることができませんでした。 それが、とても心残りです。 電車で空港に向かう中、彼女が住んでいた町、入院している病院が電車の窓から見えました。 新年、出社しましたが、誰も彼女の葬儀がどうだったのか、教えてくれませんでした。 私も、自分から聞くようなことじゃないなと、聞けませんでした。 一時してから、同じチーム内(あんまり面識が無い男性)彼女と同じ祖国の人から、スカイプが来ました。 彼女の葬儀のこと、彼女のお兄さんが、私にお礼を伝えて欲しいと言われたと教えてくれました。 私はお礼を言われるようなことは、何もできていない・・と思いました。 むしろ、彼女の家族が大変悲しんでいて、どうしようもないであろう時に、諦めるなと身勝手なメールをしてしまったのですから。 実家から東京へ戻ったあとも、毎日風呂でなきました。 会社では自然と彼女がいた席を見てしまいます。 もうすぐ彼女が亡くなって、1年になります。 この時期、外のイルミネーションをみて彼女の背中を思い出します。 帰りに彼女とここで1年前写真を撮ってはしゃいだなと。 いつか、彼女の祖国へいって彼女に会いに行きたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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