こんな裁判をまだやるのかと思うとうんざりだ。確かに人命は大切だが、たとえ理想的な医療であれば助けられたのだとしても、助けられなかったら刑事罰というのはばかげている。何かをしなかったことが犯罪だと見なされるのは、医師なら誰でも必ず行うような重要で容易な医療を行わなかったときだけだろう。動脈性の出血があるのに、特に理由もなく放置して、そのまま失血死させたら、さすがに私でも犯罪だと思う。
検察「救命できた」 割りばし事故の控訴審
検察「救命できた」 割りばし事故の控訴審
記事:共同通信社【2007年6月13日】
東京都杉並区で1999年、割りばしがのどに刺さった保育園児杉野隼三(すぎの・しゅんぞう)ちゃん=当時(4)=が杏林大病院(東京都三鷹市)で治療後に死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われ、1審判決で無罪を言い渡された当時の担当医根本英樹(ねもと・ひでき)被告(39)の控訴審初公判が12日、東京高裁(阿部文洋(あべ・ふみひろ)裁判長)であった。
昨年3月の東京地裁判決が、割りばしが頭の中まで達していることを想定せず、十分な診察や検査をしなかった過失を認めた一方で「気付いても救えた可能性は極めて低かった」と、死亡との因果関係を否定したことに対し、検察側は「正しい判断を前提に適切な措置をすれば救命できた」と主張、禁固1年の刑を求めた。
弁護側は1審と同様に「割りばしが頭の中に到達したと想定することは不可能だった」と無罪を主張した。
東京地裁判決によると、隼三ちゃんは99年7月10日、転倒して綿菓子の割りばしがのどを貫き、脳に刺さった。杏林大病院の当直だった根本被告は、傷口に消毒薬を塗るなどして帰宅させたが、隼三ちゃんは翌日、死亡した。
はじめにも書いたが、「正しい判断を前提に適切な措置をすれば救命できた」かどうかが争点になるのはおかしい。その点では、たとえ無罪になったとはいえ、一審の判決もおかしいのだ。誰でも分かる易しい症例で正しい判断を出来なかったら、それは問題だろう。(問題でも、せいぜい民事の事例と思うが)「割り箸事故」と言われるこの事例は、決して容易な事例とは言い難い。多くの医者が、自分でも分からなかったと思うから、これほどムキになるのだ。
困ったことに、自分では何も出来ないくせに、自分じゃ何でも分かっていると思う
脳天気な人たちもいる。その中で発言権の強い集団は、たいていは
教授と呼ばれている。「正しい判断を前提に適切な措置をすれば救命できた」と言っているのは、こうした教授の一人だろう。医療が適性だったかどうかを審査する第三者機関を立ち上げるにしても、こうした教授連を排除することが必要だ。
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