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カテゴリ:医療
検診は一人の医師がたくさんの症例を見るのだから、微妙な症例の見落としを責めるのは酷だ。誰でも見落とすはずがないような症例を見落としたのなら責任は重いが、そうでなければあきらめて貰うしかない。検診とはそういうものなのだ。そうではなく、もっとずっと素晴らしいもののように宣伝しているから誤解されているが、それ程のものではないのだ。 健診でがん見落とし死亡 遺族が京都市を提訴 肺がん見落としで和解へ 広島県立広島病院 ガン検診を受けたときの場合分けをしてみよう。 陰性の場合。 1)実際にガンではない。 2)発見可能なのに見落としで実はガンであったが、助かった。 3)発見可能なのに見落としで実はガンであり、手遅れで亡くなった。 4)発見不可能なガンであったが、助かった。 5)発見不可能なガンであり、手遅れで亡くなった。 3)だと文句も言いたくなるのだろうな。5)でも文句を言うかも知れないが、訴訟になれば病院は負けない。たぶん負けないと思う。負けないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟しておいた方が良いかも。 陽性の場合。 6)実際にガンで、早期発見で命が助かった。 7)実際にガンで、手遅れで亡くなった。 8)実はガンではなく、不必要な検査や治療を受けた。 結局検診を受けて意義があるのは6)だけだ。1)も安心を得たという意味では意義があるとも言えるが、誤解に基づいた安心だ。和解した後者の事例は肺ガンだが、実は肺ガンの検診は難しい。検診群と非検診群の予後に差が出ないのだ。つまり、検診にあまり意義がある現状ではないのだ。でも、検診をしていると言うことは、検診に意義があるという幻想をばらまいているわけで、今更たいした意義なんて無いのですと言うわけにも行かないのだろう。 検診の意義はどの程度のものなのか、する方も受ける方も、理解した上で行うべきだと思う。 ミラーサイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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