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カテゴリ:医療
愛する家族が亡くなれば、それも誰かの過失で亡くなったのであれば、恨みに思う気持ちは分かる。でも、元々一定の確率で亡くなることが避けられないのだとしたら、恨まれる方はたまったものじゃない。 日本の医療は、とりわけ産科は、少ない人員でのボランティアのような激務で支えられている。すべてが上手く行っているときは良いが、予定外のことが起きたときの対応が遅れがちになるのは仕方がないだろう。残念ながら、術後の出血はゼロには出来ない。時には亡くなることもある。リンク先 を読んで貰えば、十分な体制をとれなかったことを院長が認めていることが分かる。良心的な対応だと思う。田舎なのだから、十分な体制を取りたくても取れないだろうに。 記事:毎日新聞社【2007年7月14日】 謝罪だけを求めてきたのなら、どうして謝罪を含む和解を拒否するのだろう。謝罪したことを公表して欲しいと言うが、すでに謝罪を含む和解だと言うことは新聞に載っているのだ。すでに公表されているのではないのか。それとも、公衆の面前で土下座させろと言っているのだろうか。そもそも誰を誰に対して謝罪するように求めているのだろうか。 私にはこの事例で医療側が敗訴したこと自体が納得できない。かける金も、医療の実情も、起こりうるリスクに対応できるような体制にはなっていない。何か起きたらあきらめて貰うことを前提に医療を行わせる体制だとしか思えない。それでも医療人の善意でみんな頑張ってやっているのだ。 患者の具合が悪かったらいつでも病院に駆けつけるのは当たり前だと言うけれど、医者にだって私生活はある。今まではこれで通用したけれど、若い人たちが自分の私生活のほとんどを犠牲にするだろうか。時間で区切って、当番制にしなければ、これからの若い医者は納得しないだろう。当番制にするためには、今の何倍もの人員が必要だ。その人員をそろえることを、今までの医療制度が怠ってきたのだ。謝るべきは、そのような医療制度を放置してきた行政だろうと思う。私には、医師も犠牲者のひとりだと思えてならない。 ミラーサイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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