確率がどの程度のものであろうとも、生命の危険を肌で感じる恐怖というものは、当事者でないと分からないものなのだろう。手術を受ける患者を毎日のように見ている私でも、患者が感じている恐怖を理解しているとは言い難い。
6月23・24日の日記で毎日新聞英語サイトの変態ニュースを取り上げた。その時は、嫌な思いをする女性が多いだろうなという感想を持ったが、生命の危険を感じる人がいるとは思わなかった。でも、実際に生命の危機を感じている人たちがいる。エクアドル在住の方のブログ、
なぜ、私が毎日新聞の記事を危惧するのか を読んでみて欲しい。
残虐な犯行に対しては、法で裁くより天誅を下すという心理は日本人にも分かる。ラテンの熱い血は、日本よりもその傾向は強いだろう。遊び感覚で子供を銃で狩るというのは、リンチに値する犯罪だと思う人がいても不思議ではない。
以下に示す引用文にもあるとおり、実際に殺害される確率は決して高くないだろう。でも、今まで全くなかった殺害理由が出来てしまった恐怖は、肌で感じることは出来なくても、理屈では分かる。以下は引用。
ところで、私が大使館の安全保障担当領事とお会いした時、双方で一致したのは、「おそらく、何も起きないだろう」という点でした。しかし、同時にこれも一致した見解は「もし、起きたなら、重大事件以外ありえない。」でした。ここでの重大事件とは、日本人が殺害される、という以下の意味はありません。これがどう言う意味を持つのかお判りでしょうか?「何も起きない」という予測は、「危険が無い」ではありません。危険はあっても、様々な要素から「何も起きない」と予測しただけであって、その予測により危険が取り除かれたわけでは無いのです。つまり、私たちは、この毎日新聞の記事により、それでなくても、上記のような治安状況の国で、さらにもう一つの危険、それも発生したなら、ほぼ100%命に関わる危険を背負い込む事になったのです。