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カテゴリ:スポーツ
国内では一流のアスリートが、持てる力をすべて出し切っても敵わない世界の壁に直面したとき、ガッカリしたり口惜しかったりすることもあるだろう。でも、その競技の奥深さや偉大さに感嘆することもあるはずだ。また、とても敵わないと思っていた相手に一矢を報いたとすれば、それもまた嬉しいことだと思う。
女子テニス界にグラフが女王として君臨していた頃、伊達公子がグラフに挑んだことがある。コマネズミのように動き回ってライジングで打つ伊達。力強いストロークで振り回すグラフ。素晴らしいラリーの応酬だ。この時、伊達は打ちながら笑みをこぼしていた。テニスが楽しくて楽しくて堪らないという顔だった。卓球の福原愛が張怡寧に挑んだとき、この時の伊達と同じものを感じた。 張怡寧は本当に強い選手で、滅多に負けない。世界ランクも長いこと1位を保っている。昔のテニスのグラフのような存在だ。愛ちゃんも3ゲームまでは相手にならなかった。4ゲーム目になると、とにかくベストのプレーをすることに徹したのか、愛ちゃんの動きが急に良くなる。打ち合いも互角に戦い、何とこのゲームを取ってしまった。 5ゲーム目は張怡寧も本気だ。素晴らしいラリーの応酬が見られるようになる。この時、あの伊達が浮かべていた笑みが、愛ちゃんにも見られた。卓球はテニスと比べてせわしないので、さすがに打っているときに笑みを浮かべるわけにはいかないが、打ち終わった瞬間の笑顔はとても素晴らしかった。 結局愛ちゃんはこのゲームも落とし、張怡寧には歯が立たなかったわけだが、終盤まで食い下がって女王にタイムアウトを取らせただけでも善戦と言って良いだろう。準決勝のリー・ジャウェイも、決勝の王楠も、張怡寧からは1ゲームを取っただけで負けているのだから。 22日の朝日新聞は、張怡寧と対戦した福原愛について、以下のように表現した。 いろいろ打開策を試みても、はね返される。そんなあきらめが表情に浮かんでいた。 あの笑顔を見て「あきらめ」と言う感性が私には分からない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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