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カテゴリ:医療
28日の朝日新聞「私の視点」に、大野病院事件について「産科医無罪」で終わるなと言うタイトルで鳥集徹(とりだまりとおる)氏が寄稿している。肩書きはジャーナリストとある。ジャーナリストであれば、それなりに深い考察を述べているのだろうと思ったら、遺族と同じことを述べているだけだった。ネットでググって見ると、私が知らなかっただけで、遺族側の代弁者として結構有名な人だったらしい。
寄稿文の内容は、医師が医療に関して捜査機関の介入を排除したがっていることへの批判である。大野病院の件でも、捜査によって真実が明らかになった面があるという。明らかになった真実とはこういうことらしい。 大野病院事件の場合、女性は手術を受ける1ヶ月前から入院していた。その間に、執刀医は助産師から「大きな病院で手術した方がいい」と助言され、先輩医師からも女性と同様の症例で「大量出血して大変だった」と教えられていた。これらは警察が捜査に入ったことで、初めて明らかになった事実だ。 亡くなった女性の父親も同様のことを言っている。どちらが先に言いだしたのか判らないが、明らかになった「事実」が重大なのだという認識なのだろう。どれくらい重大なのかというと、たった1人の産科医として、夜間も休日も毎日待機当番状態で自分の生活を犠牲にして地域の医療に貢献していた医師を、逮捕して留置場に放り込み、犯罪被疑者として過酷な取り調べを受けさせるほど重大なのだろう。 普通の市民なら、その様な仕打ちを受けることは耐え難い屈辱であり、恐怖でもある。医師をその様な目に逢わせる必要があるほど、その「事実」は本当に重大なのか。 そのような「事実」が有りながら、転送せずに大野病院で手術を強行したのが悪いという認識だと思うが、それなら、前置胎盤の手術の多くは大病院に送られていたという認識なのだろう。でも、裁判を取材してきたというのなら、大野病院よりも環境の悪いところでも、前置胎盤の手術が行われていることは分かったはずだ。少なくとも、それが福島県のスタンダードであったことは、裁判の過程で明らかになっている。スタンダードが悪いというのであれば、責めるべきは医療体制であり、医師個人ではないはずだ。 被告自身は第七回公判で以下のように述べている。 弁護人: 大野病院で前置胎盤の症例を取り扱うことに問題があると思いますか。 被告だけでは信頼が置けないと言うのであれば、先輩医師も第二回公判で、このように述べている。 弁護 先生は前置胎盤の帝王切開は何人でされましたか? これが福島県の当時の実情だ。今では産科を取りやめたところが多く、1人では手術をしないようになっているだろうが、そのために産科難民と言われる人々が増えている。医療を受けられないまま亡くなった命もあるのではないかと言うのは杞憂だろうか。 設備が整っていた方が良いのはその通りだし、人員も豊富な方が良いこともその通り。それは前置胎盤だけでなく、たとえ正常分娩でも同じなのだ。正常分娩だと思っていたら、突然大出血と言うこともあり得る。万全を期すなら、都市部の大きな病院の方が良いというのはその通りだけど、それ以外の施設は無くして良いのだろうか。リスクはあろうとも、医療を受けられないよりは受けられた方が良いのではないだろうか。 でも、もう後戻りは出来ない。集約化と言えば聞こえは良いが、実体は地方切り捨てだ。今でも過酷な勤務状態で働く産科医は多いが、そのモチベーションは以前ほど高くない。「難民」が押し寄せてくれば耐えられないだろう。ドミノ倒しは粛々と続いて行くと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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