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カテゴリ:医療
どうしても勝敗を決めなければならないとき、サッカーならPKですが、ラグビーだとくじ引きです。結果は全くの運ですから、はずれくじを引いた人を本気で非難する人は滅多にいないでしょう。でも、はずれくじを引いた本人は、申し訳ないという思いを持つものです。「僕のせいです」と、口に出して言うこともあるかもしれません。だからといって、「ミスを認めた」と鬼の首を取ったかのように言い募ったり、非難の記事を書いたりはしないでしょう。
いつも読ませていただいている「NATOROMの日記」で、以下の記事を見つけました。 ■「病院はミスを認めていた」遺族の悲痛な訴え 本当に皮下の出血が亡くなった原因であるのかどうかは分かりません。解剖していれば別の原因が明らかになったかもしれませんが、ここでは皮下出血を起こしたことについてのみ、医師のミスがあったかどうかを問題にします。 皮下には大量出血につながるような大きな血管はありません。ですから、通常は針の刺し方のミスで大量の皮下出血の起こることはありません。小さな動脈でも、肝機能が低下して血液の凝固能が障害されていれば、傷つけると出血が多くなるかもしれません。でも、小さな動脈はどこを走っているのか分かりませんから、傷つけるかどうかは運次第です。通常は大事に至らないので、気にせず穿刺するのです。 さらに凝固能が障害されていれば、毛細血管が傷ついても多くの出血があるかもしれません。毛細血管はどこにでもありますから、傷つけずに針を刺すことは不可能です。 患者が期せずして亡くなったとき、関わった医師は申し訳ないという思いを持つものです。謝罪の言葉を口にすることもあるでしょう。でも、それでミスと認めたと言われるようになると、事務的なやりとりにならざるを得ません。実際にそのように事務的に対応するという医師は増えています。でも、事務的な対応で納得できる家族は多くはありません。訴訟の増減は別にしても、感情的な軋轢は増えるはずです。 このような記事がでるのは、記者が具体的なイメージを持たずに書き散らしているからでしょう。ミスがあったとすればどのようなミスであったのかくらい考えて書けば、単なる遺族の感情の垂れ流しのような記事にならなかったのではないかと思います。誤解に基づく遺族の不満に便乗するような記事を書くことで遺族の感情の行き場をなくしている事例は、しばしばあるのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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