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医療報道を斬る

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2009.03.13
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カテゴリ:医療
 なんだかK村のお話(リンク先後半)を思い出させる記事です。医師を集めるのは待遇そのものではなく、待遇に込められた気持ちなんですよね。これは医師を集めるときだけの話ではないと思います。

 銚子市長と市立総合病院との間で具体的に何があったか分かりませんが、結局は6億円を支出しながら人間関係を壊してしまったのなら、最悪の事態でしょう。どうせ金を出すなら、気持ちよく出しておけば良かったのに。「市議会はアホだが、私は君たちの味方だ」と言うメッセージを出し続ければ何とかなったかもと言うのは、甘過ぎでしょうか。

 既に破綻した今となっては、病院の再建はほとんど不可能でしょう。財政的に成り立つはずがありません。もしリコールが成立したら、銚子市民はどのような負担を引き受けるつもりなんでしょうか。大人としての自覚はあるんですよね。だだっ子のように、無い物ねだりをしているわけではないんですよね。

病院の挑戦「3年覚悟」 議会の抵抗、光明消えて 連載企画「病院が消えた-銚子市長リコール問題」
2009年3月12日 提供:共同通信社


 銚子市長の岡野俊昭(おかの・としあき)(62)が真顔で話し掛けてきた。「3年やる覚悟で病院を建て直してくれ」。やり手で通った水道部長の高城順吉(たかしろ・じゅんきち)(61)にとって予期せぬ一言だった。定年を1年後に控えていた。「でも、放っておけなかった」

 2007年4月。市立総合病院の事務局長になった高城は、旧知の病院長、佐藤博信(さとう・ひろのぶ)(61)とともに職員一人一人を院長室に呼んだ。「つぶれないから、心配しないで」。水道部長時代、内部留保から病院に7億円の緊急支援をしたことがあり、2人は病院の内情を熟知する仲だった。

 手始めに高城は、医師不足を補おうと、近隣病院の医師を次々と非常勤にスカウト。遠隔地の医師を誘って銚子港の地魚を振る舞い、住宅や子供の通学問題の相談に乗りながら転居を促した。米国ニューハンプシャー州からやって来た内科医松井稔(まつい・みのる)(45)もその一人。「高城さんの勢いにすっかり押されて」と笑う。

 ▽電卓たたく毎日

 市に働き掛け、研究費名目で医師給与を上乗せしたり、医学部の学生向けに月々20万円の奨学金制度をつくり、将来の研修医の確保に動いた。先を見越した再生プランだった。

 「院長と電卓をたたき、売り上げをチェックする毎日だった」と振り返る高城。医師数はいったん下げ止まり、増加に転じた。07年7月から08年3月までに、入院患者も収益も1.3倍へと増えていた。「あと、市の支援さえあれば」。頼みの綱は、当面を乗り切るための6億円。だが、壁にぶつかった。

 ▽市議会の抵抗

 「そんな金出せるわけがない」「経営の見通しを出せ」。病院の再建プランに市議会がかみついたのだ。訳があった。

 前市長時代、市内に千葉科学大を誘致するため発行した起債約70億円の返済が07年度から始まり、市の財政に重くのしかかっていた。岡野は詳しい見通しを出すよう高城に迫ったが、「病院つぶしに使われるに決まっている」と拒否。結局、6億円は支出されたものの、市長と病院の関係は冷え込んでしまう。

 08年3月。高城は佐藤に退職すると告げた。「あなたという片腕をもがれては、病院再建のオペはできない」と佐藤。悔し涙があふれていた。2人は相次いで病院を去った。病院長を慕った医師たちも後に続いた。(敬称略)

▽市立病院の医師不足

 市立病院の医師不足 2004年に導入された「臨床研修制度」の影響で、銚子市立総合病院に医師を派遣していた日本大が引き揚げを開始、医師不足に陥った。01年のピーク時に39人いた常勤医師は、休止発表の08年7月に12人まで減少した。





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Last updated  2009.03.13 17:38:13
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