地震・津波による悲惨な被害を見ていると堪らない気持ちになります。こんなに簡単に日々の幸せが失われてしまうことに憤りを感じながらも、自分も、そのような覚悟で生きていかなければならないと強く感じました。
毎日平凡に暮らしている私ですが、その平凡さこそ実はかけがえのない幸せなのだと言うことを、この地震は教えてくれました。私が家族を失ったとしたら、失ったこと自体が辛いことはもちろんですが、感謝の気持ちを伝えていなかったことを悔やむでしょう。今日からは、照れずに「ありがとう」と伝えてみようと思います。
家族以外にも、生きている上で多くの人に支えられて生きているわけですから、この機会に感謝の意を表しておこうと思います。
ネット上で様々な情報を提供して下さる皆さんには、本当に感謝しています。とりわけ、自分の考えを修正しなければならないような情報は、『聞くは一時の恥 聞かぬは末代の恥』と言いますので、本当にありがたいです。最近の具体例で言えば、NATROM先生の
「救急救命士による点滴」というエントリですね。
そして今、命をかけて頑張ってくれている人たちが居ます。原子力発電に関してはいろいろな意見をお持ちの方が居ると思いますが、これ以上の災害を防ぐために、自らを犠牲にして頑張っている現場の人たちに対しては、あれこれ言わずに賞賛すべきだろうと思います。
大変ですが、頑張って下さい。そして、
ありがとう。
被曝の恐怖、余震…真っ暗な建屋で決死の作業
読売新聞 - 03月15日
高濃度の放射性物質の放出が続く福島第一原発。放射能汚染の恐怖と闘いながら、決死の作業が続く。
15日朝に大きな爆発が起きた2号機。
東電や協力企業の作業員ら800人が水の注入作業を行っていたが、爆発に伴い、「必要最小限」という50人を残し、750人が一時、現場から離れた。被曝(ひばく)を避けるため、放射線量が高くなると作業を中断しなければならない。15日午前、隣接する3号機付近で観測された400ミリ・シーベルトの環境下で作業できる時間は15分が限度。津波による被害で、停電も続く。
照明がつかないため真っ暗な建屋内で、作業の効率はあがらない。余震が続く中、津波警報で作業の中断を余儀なくされることもある。400ミリ・シーベルトを記録したのは、作業員が携帯する放射線監視装置だった。
12日午後、高圧になった1号機の格納容器内の蒸気を逃がすための弁が開放された。格納容器に亀裂が入る最悪の事態はまぬがれた。その弁を開ける作業にあたった男性は、100ミリ・シーベルト以上の放射線を浴び、吐き気やだるさを訴えて病院へ搬送された。
もともと、この作業では、大量の放射線を浴びる危険があった。このため、1号機の構造に詳しいベテラン社員である当直長が作業を担当。「タイベック」と呼ばれる特殊な全身つなぎ服とマスクを身につけ、手早く弁を開けたが、10分超で一般人が1年に浴びてもいい放射線量の100倍にあたる放射線を浴びた。
経済産業省原子力安全・保安院によると、同原発で注水作業に当たる東電職員らは約70人。ポンプなどを制御しつつ、交代しながら格納容器付近の現場で活動している。
本来、中央制御室で監視できる計器も、被災後、故障し計測不能なものがある。遠隔制御も不能で、原子炉冷却のために弁を開く作業も現場で手作業するしかない。福島第一原発は1971年に1号機が稼働した古い原発で、通路などが狭く作業しにくいことも足を引っ張っている。
注水が進めば原子炉内の圧力が上昇し、炉の崩壊の危険性が高まるため、弁を開いてガスを外部に放出しながら進めなければならない。ガスは放射性物質を含むため、放出自体は最小限に抑えなければならない。東電の担当者は「バランスをみながらぎりぎりの選択の連続だ」とため息をつく。
追記
うんち・おならで例える原発解説が秀逸なので貼っておきます。