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昨日、朝までの大雪で、カーポートがクラッシュ。
危ないかなと思いながらも、降りしきるみぞれの中を除雪する気にもなれず、放置。 昼頃、がらがらドッカーンと言う大音響とともに、二台用のカーポートが中央へと崩れ落ちた。 後から考えれば、車の前を除雪して車を出しておくべきだった。 雪の上にみぞれが降れば重くなるのは当然なのだから、予見できたはずだ。 あるいは、スコップの届く範囲だけでも屋根の雪をどけておけば良かった。 こんなことを考えながら昨日はずっとくよくよしていたのですが、実際にカーポートが倒壊するまでは、実は全く楽観的だったのです。 自分の家のカーポートのことより、お向かいの電話引き込み線が雪庇に巻き込まれていて、切れるんじゃないかと心配していました。 カーポート倒壊の可能性も少しは考えましたが、60cmの積雪があり、車二台分の除雪は老人には少々つらいものがあります。 また、カーポートの屋根の除雪をするには脚立のてっぺんに登る必要があり、転落したらどんな怪我をするかわかりません。 結局、だんだん溶けて軽くなるのだから大丈夫だろうとの判断で放置しました。 自分のことだから、くよくよはしても激しく責めることはありませんが、これが他人の判断で自分が不利益を被ったのなら、後知恵で責めたくなるのだろうなと思いました。 対処するための労力やリスクは軽く考え、容易に予見できたはずだという思いだけが募ったりして。 実際のところ、倒壊したカーポートの下敷きになっての死亡事故もあったのですが、そんなことに思いを馳せることもなかったかもしれません。 こんなことを考えていたら、医療裁判のことを思い出しました。 きっとこんな風にして、医療で結果が悪かったときには責められるのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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