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テーマ:ニュース(99920)
カテゴリ:バベルの宴(内輪ネタ)
先日、関連記事は記したが、昨日「相馬雪香先生を追悼し感謝する会」に親族として出席してきた。慌しい時期にもかかわらず、多数の出席者があり、先生(今日は先生と敬称をつけたい)の生前の国際的な平和活動と、それを衝き動かした面倒見よく豪快なパーソナリティが、いかに多くの人々を勇気づけ、またそれがため慕われてきたかが改めてよく分かったのである。なお、これまた大変な時期にご出席いただいた著名人や御成りいただいた顔ぶれについては報道記事に譲るとして、会は実に和やかに執り行われた。和やか。和す。これぞまさに先生が生涯を通じて取り組まれたことであったかと思う。
私とは直接面識がなかったものの、間接的には近しいご縁をいただいていた日野原重明先生が、永年の主治医として、また盟友としてスピーチをされたが、哲学者カントの言葉を引いて、「不戦ではなく、否戦でなくてはならない。相馬先生に代わって、平和は赦しから、と伝えたい」との主旨のお話を下さった。 最後に、生前ラジオ番組で相馬先生が語ったインタビューのテープが4分ほど流れた。「私だってできないことがたくさんある。でも、できないことを無理にやるのではなく、自分ができることをやって、互いの不足を補い合えばいい。できないことをひがむのではなく、目の前にある、自分ができることを一つ一つ積み重ねていくことが大事」。肩の荷がスッと下りた気がした。 メッセージには、「相互の違いを認めること」、「人を変えるには、自分から変わる」という先生の思想の根本が息づいているように思えた。そして、日野原先生の言葉と相俟って、平和の実現には「赦すこと」が究極として存在しているように思い到ったのである。 帰宅して、相馬先生より依頼されて寄稿した自筆のエッセイを読み返してみた。「日本語を愛している」と話したら、「何か書いて頂戴」と言われたのだ。10年前の文章である。何も変わっていなかった。そこに私が書いていたことは、今の私が考えていることと変わらない。私にもまだ、あの頃の若々しい情熱が残っていたのだ、と思うと嬉しくなった。 先生の死を悼む気持ちで一杯である。しかし、それよりも、自分にできることで、自分らしい形で、少しでも志を継ぎ前に進むことの方を、先生なら「今すぐ選びなさい」と仰るに違いない。 この時期にしては珍しいほどに暖かい一日。昨日は快晴だった。(了) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/12/28 12:15:38 AM
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