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カテゴリ:バベルの宴(内輪ネタ)
昨夜、祖父の卒寿を家族一同で祝った。祖父の米寿を祝ったのが、ついこの間のことのようだが、そのあっという間の二年の間にも、様々な出来事―たとえば、新しい家族が増えたり、家族のそれぞれの身辺に変化など―があり、それら一つ一つの出来事と伴走しながら、つつがなく、病気一つせず、祖父が元気にまた二つ歳を重ねられたことは何よりのことだ。
当日は、孫4人までが勢ぞろい(一人は海外からの帰国がかなわなかったのだが)し、皆でデジタル・フォトフレームを贈り、セッティングをしてきた。スライド式に表示される家族の写真を眺め、一枚一枚に嬉しそうな表情を見せる祖父に、贈った我々も大満足だった。 夜は一族11名で食事会。その席で祖父は、祖母や家族への感謝を述べ、卒寿を迎えられたことを「奇跡」であり、「夢見心地」と表現した。私は、この「夢見心地」という言葉が、おそらく祖父本人の気持ちを一番端的に表現しているのではないかと察した。 戦地では九死に一生を得、復員してから祖母と、“二人”からスタートして今の家族を作り上げてきた祖父は、ひたすらに、ひたむきに生き、働き、戦後日本の高度成長を支える現役のサラリーマンとして70歳まで勤め上げた。そこからさらに20年の第二、第三の人生があったことも、すでにして奇跡のような気持ちであろうかと思うが、おそらく、我武者羅に生きるだけではたどり着けない、健康で、家族に囲まれながら、なおも未来を想像できる心身で90歳を迎えるということは、もはや余人では思いも及ばぬ桃源郷の世界、まさに「夢見心地」なのかもしれない。健康の秘訣や、長生きのために続けてきたこと。そういうことも祖父にはいくらかはあるが、実際には、まるで奇跡のように、本人も信じられない状況の中で到達しうる境地こそ「夢見心地の幸福感」なのではないだろうか。 「継続は力なり」を体現してきた祖父。何事も諦めず、投げ出さず、泣き言ひとつ言わないで継続してきた祖父。この祖父ならば、その境地に達して当然と、孫の私ならば思う。だが、それに加えて、自分でも気が付かない・意識できないほどの無念・無想・無私・無欲があってこその「夢見心地」だとすれば、これに達した祖父は奇跡の人であるが、「夢見心地」の世界は我々すべてに開かれているとは到底思えない。ハードルは高そうだ。この難事を成し遂げた祖父の卒寿を、憧れとともにあらためて祝いたい。(了) LG F8400NPN/WNデジタルフォトフレーム【贈り物に最適!ギフトメッセージ機能付き!】(ブラック/ホワイト) ■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/01/19 02:29:55 PM
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