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カテゴリ:アート
この時期、毎年上野で美術館のハシゴをしているような気がします。だからかな、一足早いのですが、上野の桜、まだ開花直前ですが、辺りではお花見用の場所取りのテープが凌ぎを削り、「立ち入り禁止区域」との鍔迫り合い。花見そのものより、こんな情景につくづく春が来たなぁ、と感じますね。
先日、東京都美術館に『生活と芸術-アーツ&クラフツ展 ウィリアム・モリスから民芸まで』と『東京二紀展』を観に行って来ました。時代的にもそうなのでしょうけど、私にとっても、ウィリアム・モリスはまさに“気分”だったので、束の間忙しさを忘れて、濃密な時間が過ごせました。 私は、美と実用の接点を考える時、“機能美”に勝るものはない、と考えていました。お茶の道具にしてもそうですし、特にバイク関連の道具やグッズなどは機能美の究極、みたいなモノに事欠かないですね。シンプルでなければ成立しない実用の“場”を前にしたとき、美は機能を備えてはじめて際立ち、また美を備えて機能美は使い勝手を超越するのだと思うのです。 しかし、今回『生活と芸術-アーツ&クラフツ展 ウィリアム・モリスから民芸まで』を観て、どうも、中には“機能美”をさらに超えた、もう少し余白のある美と実用の関係があるような気が、漠然としました。今はそれを咀嚼中で、それが何なのか一言で言い表す事はできないのですが、少しずつ自分の中に落とし込んで行こうかと考えています。それにしても、ウィリアム・モリスらの提唱したデザインはたまらなく有機的(一種のゴシック・リバイバルだから当然ですが)だし、モダンで可愛らしいし、機能を邪魔しない。いや、むしろデザインが機能を担っているのに、そのことを声高に主張しない。そんな牧歌的なゆとりが、当時最先端と呼ばれたデザイン運動の“宣戦布告”とは、これまた風流な。柳宗悦「三国荘」の再現も見所。確かに、我が家にそのまま欲しい。ただ、周囲とのディスプレイの関係上、ちょっと“御開陳”感がなく、郷土博物館チックになってしまって野暮だったような気も。惜しい。あとは、貴重な装幀や、エドワード・バーン=ジョーンズの仕事が観られたのが収穫でした。 『東京二紀展』は、恩師が80号を出品、というので、是非にと駆けつけました。テーマは一環して、ナガサキの原爆。今回の作品では、きわめて現代的な地図デザインをシーケンスに挿し込んだ、示唆的・暗示的・記号的な作品。ただ、心なしか、恩師とテーマの距離が、静かながらも激しく鋭かったものが、より醸成されて、“沈思黙考的”になっているようなニュアンスを受けたのです(断じて、歴史的事実との和解ではないのですが)。そのあたりは、当日はお目にかかれなかったご本人に、後日うかがってみたいところです。(了) ウィリアム・モリスの世界 雨の日がハッピーに♪カラフルなレインコレクションタマラヘンリケレインブーツ[ウィリアムモリス] 【 William Morris】ウィリアムモリス Keswick Trays - 丸トレイ(グリーンウィロー) ■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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