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バベルの図書館-或る物書きの狂恋夢

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テーマ:お勧めの本(7334)
カテゴリ:書評
見出し:理ある復讐劇。リアルな復讐劇。

ジュール・ヴェルヌ著、金子博訳『アドリア海の復讐』(上・下)(集英社文庫)

 私は復讐譚が好きだ。世の中には、私と同じような復讐譚(vendettaもの)が好きな向きも多いかと確信している。過日、ジュール・ヴェルヌの作品群を読み直した件について、まとめて書評を書いたが、この作品については別項目で扱おうと、前の評からは除外していた。すでに知られているように、本作はジュール・ヴェルヌの主要作品の中でも異色の物語であり、大デュマの『モンテ・クリスト伯』を下敷きにした、いわばオマージュ的作品である。事実、書簡にて、小デュマより、「文学的にいえば、彼(大デュマ)の息子はわたしよりもむしろあなたなのです」とさえ評されている点、ヴェルヌの試みは成功裏に終わったということであろう。
 19世紀オーストリア。その支配から逃れんとするハンガリー独立を画策する愛国の志士三人が、嫌らしい密告により革命前夜に頓挫。首謀者は逮捕されるが、それが裏切りによる失敗と知るや、一度は覚悟した正義の前の従容たる死を固辞し、脱獄して復讐することを誓う。途上仲間は次々と官憲の手に落ち非業の死を遂げるが、リーダー格であったマーチャーシュ・サンドルフ伯爵は辛くも追っ手を退け、どす黒い海に消える。
 15年の歳月が流れる。ふたたび物語に現れたのは、怒りの焔を胸に、高名なる謎の医師・アンテキルト博士の名を借りて復讐の刃を研ぐマーチャーシュ・サンドルフそのひと、世間では死人とみなされてきたあの伯爵であった。
 これだけのあらすじを読まれても、おそらくこの手の物語が好きな読者なら食指をそそられること町がない。事実、この長編には、冒険譚が備えるべき要素が余すことなく盛り込まれている。お決まりの、海を舞台として諸世界を股にかける冒険は、オリエンタリズム、異国情緒溢れる筆力に支えられた描写によって、主人公たちとの旅を共にするような感覚を得るだろう。
 あるいは、ハンガリーの独立への思いやそこに至る歴史的経緯など知らなくても、またそれほど史実に忠実でなくとも、そうと思い込ませ、信じ込ませてこの作品世界に引きずり込む説得性のある設定を、ヴェルヌは周到に用意している。このあたりの丁寧さは、同じく少々ヴェルヌ作品としては異例な異国風奇譚『カルパチアの城』の幼稚さからは程遠い。
 とはいえ、この訳本の解説にもあるように、作品全体のクオリティに比して、そのディティールの乱暴な点がないわけではない。その粗さは、特に下巻、つまり復讐の徒として再登場したアンテキルト博士ことマーチャーシュ・サンドルフが、己が運命を狂わせた破廉恥漢を徐々に追い詰めるまでのプロセス、とりわけ方法論について、時に安直であったり、素直に読み下せない偶然を支配下に置くような展開を多用しすぎている点に散見されるものだ。上巻、つまりマーチャーシュ・サンドルフ伯爵が独立運動に挫折し、目の前の死から逃れんとすべてを賭して逃亡する物語においては、クラシカルで重厚、息詰まるほどに隙のないストーリー・テリングを見せてくれたヴェルヌも、下巻では、不可能なことが非合理的な要素で簡単に可能となってしまう。成就までの過程に障害があるほど、復讐の美しさはいや増すというものなのだが、その点少々物足りない。
 時代性と、持ち前の科学知識や科学的可能性を宛てにしすぎた、といえば酷だろうか。心理学とオカルティズムが混在し同居していた当時だからこそ、磁気催眠術などという、今にしてみれば荒唐無稽な科学が、大手を振って物語の重要ポイントで過剰に機能してしまったりするのは、なんとも惜しいことだ。ただし、復讐に決着をもたらす海戦の件は、船好きのヴェルヌが、まさに頭の中でシミュレートしてみたかった場面であることをうかがわせる迫力ある山場となっていいる。
 こうした、作品全体を俯瞰してみたときに感じられるムラは、ヴェルヌ作品は脇役(「とんがりぺスカード」や「大山マティフー」の名コンビぶり、気骨ある漁師親子や悪役のキャラクターの立ちっぷりも見事だ)に味あり、との期待に見事に応える悲喜劇役者たち、義侠の士たちの胸のすく活躍ぶりでうまく相殺されているのは流石である。そう、本作は、ヴェルヌ作品の中でも特に、キャラクター造形と登場人物同士の立場や心情の綾が、絶妙なバランスで配置されている点、注目すべきであろう。
 特に、シーケンスの面から言えば、マーチャーシュ・サンドルフ伯爵の運命に巻き添えを食い、それぞれ復讐に駆り立てられることとなった登場人物同士の奇縁の成り立ち(この復讐劇が、親子の二代にまたがって成し遂げられる点も記憶しておきたい)に、決して互いの 復讐心の利害や目的がぶつからないよう、うまく配慮調整されている。なにしろ、復讐の円卓の杯は、完全に一つに向かう復讐心で充たされていなくてはならぬ。そうでなければ、復讐行為そのものが持つエネルギー自体が低下してしまう。さらには、「理ある復讐=リアルな復讐」が、読者への説得力を持って成立しなくなり、吝嗇な私怨の小爆発の集積に堕してしまうからである。復讐というものが持つ力や重さ、温度までを、徹底的に品質管理した点。そこにこそこの作品におけるヴェルヌの才気が最高度に注ぎ込まれているのだ。
 15年の歳月を要した復讐に、しかし一体何が残るだろう?もちろん、この物語には至極めでたい大団円が用意されている。復讐のために充填されたエネルギーは、別のベクトルへ向かって一気に爆発する。はけ口がない復讐譚は、後味が重たくなるだけだ。我々の人生において、復讐は何も残さない。目的は達成されても、それが新たな価値を創造することは考えにくい。仮にそれがあっても、復讐に要するエネルギーの採算は取れないだろう。おそらく、激しい消耗と空虚な心身が、復讐成就とともに残されるに過ぎない。
 してみれば、爽快感ある復讐が許されるのは物語の世界の中だけ。だからこそ、私たちは復讐譚を愛して止まない―それに己の復讐心を重ね合わせるかは別として―のだ。(了)

「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。





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Last updated  2009/04/09 02:34:10 PM
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