|
テーマ:お勧めの本(7402)
カテゴリ:書評
見出し:胡座をかいた認識を揺さぶる不敵な反復。
アラン ロブ=グリエ著、平岡 篤頼訳『反復』(白水社) 刺激を求めていない時に、挑発的な本を読むべきではないのかもしれない。ヌーヴォー・ロマン(アンチ・ロマン)の代表的作家、アラン・ロブ=グリエ『迷路のなかで』を読んだとき、そうつくづく思ったものだった。文学的実験につき合わされるような、読んでいて読み進まない、いつまでも出口の見えぬ迷路に放置されたようなあの後味が忘れられない(ロブ=グリエの迷路は、初心な読者である私を見事にハメたのだ!!)。なに、私は文学にもフランス文学にも明るいわけではないから、はっきり言おう。面白さが解らなかった。いや、退屈だったのだ。そう告白して、別に恥ずかしいことなど私にはない。 が、ロブ=グリエが読める、などと賢しげな顔をして平気で言えれば、ちょっと格好いいだろう。失礼承知で、その程度の一冊だったのだ。 だが、晦渋なものを欲しくなるとき、必ずしもそうとも言えない。本作『反復』は、作者20年ぶりの新作だそうで、特別ファンでもなかった私は待望していたわけでもなく、ましてもう新刊で世に出てから5年も経っているのだが、ふと、後味の悪そうな本が読みたくなって、気まぐれに手に取ったのだ。 果たして、幾分は速度を感じる時間軸と展開を備える本作は、推理小説的な要素が強いせいか“ロブ=グリエなのに読み進む”という不思議で新鮮な感覚を得つつも、やはりどこか、コラージュを突きつけられる凸凹な読み応えは変わらない。事実と連続しながら、断片的記憶=証拠が反復するうちに、虚実が曖昧で不確かになってゆく様は、胡座をかいた認識が揺すぶられてスリリングであり、どこかシュルレアリスムへ共犯を持ちかける歩み寄りを思わずにいられない。ただし、シュルレアリスム文学が多分に思想に端を発しているのに対し、こちらはむしろ、シュルレアリスムを文学的な技巧として逆手に取って二次利用することで、唯一無二を創り出そうという大胆さとニヒルさをスタンスとしている。フロイト心理学、とりわけオイディプス神話をみえみえにモチーフにするベタ感に、あざといまでの不敵さをも垣間見る思いである。 あらゆる文学上のフォーマットを、自身の手法で料理しようとする執念と手腕には脱帽するしかないにしても、それが、ある種の美へと結実しているのかそれは、またも主観的にロブ=グリエを読む私には今回も解らずじまいだった。 しかし、『迷路のなかで』よりはお手柔らか(ふたたびそれは、本作が、実験的側面よりも、“偽装されたエンタテインメント”色の打ち出しに軸足を置いているからであろうけれど)なせいか、逆に“ロブ=グリエの面白さ”が、少しだけ解ってしまうという、皮肉なオマケを賜ることになった。そんな仕掛けまでもが、作者の神経質な遊び心による必然ではないかと疑うことも出来なくはないが、ここは素直に受け入れたい。(了) 迷路のなかで 反復 ■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/04/27 10:40:50 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|