|
テーマ:お勧めの本(7401)
カテゴリ:書評
見出し:シカクシメンには非ず。
ハル・フォスター編、榑沼範久訳『視覚論』(平凡社ライブラリー) どちらかといえば、論集に近い本書は、専門性も少々高く、私も含めて、まず共通言語がない読者には今ひとつ面白さが伝わらないだろう。本書を手にするにあたって期待したインスピレーションは、ついぞ得られなかったのである。 というのも、本書に採り上げられた議論は、今現在ではすでに古びているのかも知れないが、しかし私が―或いは期待とともに本書を手にした読者―が求める議論よりは先に行き過ぎている感がある。つまり、より原始的な分析が本書で展開される論題にいたるまでの、スリリングな部分はすべて前提として抜け落ちた形になっているからである。 ただし、トップ・バッターであるマーティン・ジェイによる眼差しとエロティシズムの関係についての文章は非常に興味深かった。眼差しが交差したとき(文字通り交わったとき)、はじめてそこにエロスの要素が生まれるという。まなざしを鑑賞者に合わせようとしない、すげない裸婦像は、予めエロティシズムがシャットアウトされているのだ。そうか、一目惚れ、love at first sightともいうではないか。 まなざしの交差、ないしは接触こそが、なにがしかの肉体的/情動的な感情のダイナミズムを生む。 なるほど、ただし、本書でも指摘されているように、一方でまなざしは、人をゴルゴンの一睨みのごとく硬直させ、政治的・システマティックに監視・管理する。 まなざしが交差し合い、交わり合うことが、エモーショナルな揺れ動きを生みながら、それはまた監視や拘束、つまり“静止への強制力”ともなり得るのは、視覚(ヴィジョン)および視覚性(ヴィジュアリティ)の、きわめて個性的かつ強力な性質のゆえの皮肉である。 訳者も述べるように、クライマックスとなるはずの全体議論では、論点が相互に噛み合ない面もあるが、縦横な意見交換とでも言うべき様はまさに、四角四面には非ず、なのである。(了) 視覚論 ■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/05/20 11:25:43 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|