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カテゴリ:雑記、手記
「なぜSIMロック? 孫社長、iPadの疑問に答える」という記事に反応して読み進むニュース。ふむふむ、なるほど…と読み進むうちに、「?」!!
「――iPadは出版を変えるのか。 出版社は紙に印刷したものを作品と思いこんでいるかもしれないが、印刷が大事なのではなく、中に書いてあるものが大事で、媒体は紙だろうが何だろうが同じ。iPadは、記事の写真をタッチして動画を再生したり、声を聞けたりなど、紙の印刷ではできなかったこともでき、紙より大きな感動や情報をもたらすことできる。(同リンク記事より引用)」 まぁ、いろいろあるし、あったけど。そんな日本のゴタゴタIT化戦争にあってひとり、スマートさの中にもちょっとアナログ的な泥臭さもあって、個人的には「リベラルでバランスの人」ではないかと(勝手に)想像していたのですが、もしこの記事が、記者によるさじ加減抜きの内容だとしたら、ちょっと幻滅ですね。 電子出版、電子書籍。やっぱり気になりますよ。それは絶対に新しい可能性を持っているし、新たな書籍文化、マーケットを開拓するでしょう。当然、出版技術、販売戦略のみならず、書き手の技術すら変革してしまうかもしれません。私も大変興味があります。 しかし。先の発言における同氏の認識は、計算づくかもしれないけれど、やはり軽率かなぁ、と。出版物や印刷物の中身=経済性に還元可能な情報、つまり商品・コンテンツ、という、あまり本を知らない人の考え方ですね。仕事や知識のために、あるいはセルフ・イメージのために本をたくさん読むことはあっても、生来の本好きじゃない。 メディアに出てしまった情報など、所詮はニュースでなくなってからの情報ですから、それに対して揚げ足取りをするのは自分のルールに反するし、これまでもあまりして来なかったと思うのですが、今回はちょっと疑問符、出ましたね。話題のアノ新商品を初手でガッチリ売らんがため、という問題だけではなさそうな気がして…。 エコ時代。無駄を省こうという風潮の中で、さまざまな意見があるでしょうけれど、やはり本というものは、装丁、文字組、紙の素材、インクの色合いや匂い、めくるという行為、テキスト、そして書き手、というものが、絶妙に絡み合い、ひとつの「内容」を構成しているもの。そのどれかだけを摘んで、本とは呼べないし、それで内容を「情報としてもれなく受信した」とは言えないもの。記述してある情報が同じでも、「媒体は紙だろうが何だろうが同じ」では断じてなく、絶対に異なるのです。それがテキストの解読という行為の根底にあります。それに、もはや書き手だって、媒体に合わせて記述の仕方を変えている時代。方法が変われば、本質がどう表現されるかの部分において、さまざまな違いが出ます。 紙を使った書籍は、やがてかつてのように、高級品、貴重品になる。そういう思いは以前から抱いていました。廉価な本と、豪華本で二極化し、その間を電子書籍が席巻して行くのかもしれません。しかしいずれにしても、それぞれに違う内容があり、その内包する本質の把握や理解に固有のプロセスが生まれる。その固有性を、どれかひとつの、ましてや媒体が標準化していく、という発想はあまりに味気なく、文化を感じさせない発言ではないでしょうか。また、受け手の感動というものは、決して未知のもの、新しい世界観、最先端の技術のみに立ち現れてくるものはありません。事実を再確認し、歴史を復唱し、既知の未知に触れる。反復の中にすら感動は生まれ得る。人間心理の複雑さを、浅薄に捉えてそれをくすぐったような気になる、というのは、かの天才発明家も常套手段としてきたことですが、あまりに商魂が見え透いてちょっと品格を疑ってしまいます。 人はバランスの中で、最上の価値に到達する。やはり、市場原理・競争原理の中ではあまり実現しない、「幸福な共存」を志向していくことが、真の意味での出版文化、書籍文化の醸成につながっていくのではにないでしょうか。少なくとも私はそう思います。(了) ページと力 ▲孫社長にはぜひこの一冊を。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/05/31 01:52:56 PM
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