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カテゴリ:雑記、手記
過剰に感傷的になっている訳ではないのだが、ふと、去年の3月11日、自分はどこにいて何をしていたのか気になった。それで、手帳や記事を遡ってみると、ドンピシャな記録は残っていなかったのだが、去年の同じ頃、私は東京・浅草寺にいた。写真も残っている。
365日で、人の運命など一変してしまうこともあるのだ。生命や生活だけでなく、考え方や哲学すらも。雷門も、仲見世も、自分すらも存在しない「日常」。いつまでも色褪せない、写真の中だけの存在になってしまうことも、大いにあり得るということだ。何によって人の生き死にが決まるか、それが人知で測り得ぬ時こそ、命の深淵が垣間見えるような気がしてならない。(了) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/04/11 05:00:49 PM
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