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バベルの図書館-或る物書きの狂恋夢

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塩野七生著『ローマ人の物語』(37)
       最後の努力(下)(新潮文庫)

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唯一人の最高権力者となったコンスタンティヌス。この時代をもって、もはやローマ帝国およびローマ史の記述をストップする歴史家多し。もはや、ローマ帝国ではない、と。確かに、コンスタンティヌスの政策の抜本は、脱ローマにあり。このストラテゴス(戦略家)の、以降三十四年続く専制統治は紀元234年にスタート。伝統として不動にあった首都ローマを、ビザンティウムに移す計画。主な理由は、防御が万全になった平時には、港湾都市は商業振興に利あり。また、ミニ・ローマを点在させるよりは、非ローマ的な帝都を新たに創設することが狙い。新都の名は、コンスタンティノポリス。同時に、脱ローマは、帝国の本質にあたる元老院にも及ぶ。王制下、共和制下でも、形を変えつつも残ってきた元老院、人材育成およびプール機関としての役割はすでにディオクレティアヌスによって解体されていた以上、立法機関としても機能せず(専制国家に立法機関は必要ない。皇帝が法である)、もはや、ストラテゴスの戦略上、形骸として残されるにとどまり、その機能自体は元の元老院には非ず。次いで、安全保障システムにも見直し。国境を守る兵士と、皇帝直属の軍隊の数の比率が逆転。防衛の対象は国家ではなく、皇帝その人。ゆえに、コンスタンティヌスをもって、中世人の嚆矢とする説も。行政改革にはまず銀本位制を金本位制に大転換。しかし、金で給金されるもの(兵士や公務員)とされないもの(市井)とで冨の格差が誕生。金は大事にしまい込まれ、含有率5%以下の銀ばかりが流通する。流通貨幣たる金が市場に出回らない=ローマ人が自国の通貨を信用しない証拠。周到に階段を上った、待望の輝ける皇帝も、疲弊した帝国の再建と家庭には悩まされ続ける。妻の実父マクシミアヌス、妻の実兄マクセンティウスを葬った後は、あの頼れる先妻の子・クリスプスに手が伸びる。罪状は、あろうことか皇妃ファウスタとの不義密通。自らが、政略結婚で迎えた妻と、そのために離縁するも右腕と信じた実子の道ならぬ関係?ことの真相は薮の中、また混迷を平らげて皇位に就いたコンスタンティヌスにしてこの杜撰さは信じがたい。例外はないコンスタンティヌス、無論連座で妃も処刑。果たして、コンスタンティヌスは啓かれた、キリスト教の守護者だったのか。そこに至までに、コンスタンティヌス、あらゆるセルフ・プロデュースを施策。古の皇帝との血のつながりを主張したり、太陽神の信仰を告白したり。「諸神混在主義(シンクレテイズム)」から「一神教(モノテイズム)」へ。この転換の目論みはどこにあったのか。いずれにせよ、一神教たるキリスト教サイドに、皇帝をマーニュスと呼ばせるだけのデリケートなセンスは有していた。キリスト教の根幹に関わる、教会資産への理解および保護・補償、皇帝資産のキリスト教会への寄贈。「ミラノ勅令」以降の、コンスタンティヌスによる本音と建前の使い分けは絶妙、行政手腕にも特異の才を発揮。極めつけは、聖職者階級独立支援。つまりは、キリスト教の聖職者を目指す人の、地方自治体での公務や軍務も一切免除。聖職者は聖務にのみ勤しめばよいというお墨付き。結果、意外な波及効果が。帝国の、知的水準の高い中間層が、キリスト教に引き寄せられていく。公務免除。司教エウセビウスの『キリスト教会史』にいわく「信仰より利益で入信する者が多かった」。そして名高き「ニカイア公会議」。この会議をもって、キリスト教は、今に連なる世界三大宗教としての「形」を備えることとなる。つまりアリウス派と相容れぬ「真理(ドグマ)」の扱いの決着。さらに言えば、「三位一体」の根底を問う、イエス・キリストは「神か人か」問題の決着。どちらでも、イエス・キリストが偉人であり、崇めるに足る人物であるに違いはない。続けて筆者は言う、それでも「人か神か」は違う、と。キリスト教徒からすれば、「救済」こそが重要なのだ、と。真実への道を説きそれに殉じて十字架上で死ぬだけならば、それは生き様に従って毒杯をあおったソクラテスと大差ない。道を説き、さらには救済を与え、約束してこそ人間を超えて、可知たるソクラテスを超えて、不可知なる神へと昇華する。三位一体こそがキリスト教の神髄。アリウス派を退け「三位一体」説採用が決まったのが、まさにコンスタンティヌス主導で行われたニカイア公会議なのであった。以降、われわれが知るキリスト教の本質はコンスタンティヌスの時代から不変なり。しかしなぜ、洗礼も受けなかったコンスタンティヌス、数の上では少数のキリスト教に肩入れしたか?同じ問いは、やはり少数のキリスト教を弾圧したディオクレティアヌスにも当てはまる。後者は、宗教・思想の統制なき波及が、当時最優先課題であった防衛線の快復と、外敵侵入に支障があるとの判断から。コンスタンティヌスは…「インストゥルメントゥム・レーニ」つまりは「支配の道具」として。支配の正当性、自らの皇位の正当性を、人間ではなく神の意志が認めたとしたら…。聖職者の保護、そして神の意志による王権の受託。一連の流れで見えてきたのは、神のメッセンジャーである司祭を味方につけるということは、「神の意志」を味方につけること。いや、「神」そのものの指名を確実にすること。政局安定こそ帝国維持の鍵と知る皇帝、その障害となる要素の根絶にキリスト教という札を切ったのか。事実、「神の意志」を錦の御旗に掲げれば、歴代皇帝が悩まされてきた難問の多くは自動的に解決する。政治感覚の冴え、ここにあり。17世紀の「王権神授説」のルーツはコンスタンティヌスの発想にあり。栄光あるかつてのローマを、一神教のキリスト教、新しき政体、新しき首都で成し遂げる。コンスタンティヌスの壮大な改革は、四十年ぶりに半ローマの軍事行動を開始したペルシャ王国により中断。自ら陣頭に立つも、あえなく病に倒れ、帰らぬ「人」となる。対極をなすディオクレティアヌスとコンスタンティヌスがローマ帝国は再生したか?ローマ帝国をまったく変質させること、生きながらえさせることには成功したに違いない。しかし、パクス・ロマーナは戻らなかった。「これほどまでして、ローマ帝国は生き延びねばならなかったのか」。(了)


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Last updated  2011/04/27 02:53:20 PM
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