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カテゴリ:変則書評:『ローマ人の物語』
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塩野七生著『ローマ人の物語』(38) キリストの勝利(上)(新潮文庫) 読破ゲージ: 読破ゲージ: ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■ *********************************************************** 紀元337年5月、死の直前に洗礼を受け、大帝コンスタンティヌス逝く。その治世は四半世紀なり。これ、アウグストゥスの四十年に次ぐ長期政権。満足、納得の死。さて後継者選びに抜かりはなかったか?ライバルとの権力闘争に明け暮れた働き盛りの苦い経験から、布石は打っていた。先に謎の刑死を与えた実子クリスプスの不在も、今にして思えばこの布石のうち。皇后ファウスタとの三人の子の成長した今、彼らが大帝の跡継ぎ、綻び、かろうじて外敵を押し返す広きに過ぎた帝国を三分の計。コンスタンティヌス二世、コンスタンティウス、コンスタンスの「正帝(アウグストゥス)」三兄弟による分担統治時代スタートも、まずは「四頭制」が生んだ複雑な皇位継承者の乱立の粛清から。大帝の異母弟の子、ガルスとユリアヌスのみ、年少につき死は免れるも、事実上僻地への追放および監視。この周到な粛清、黒幕がいて当然の大成功ながら、犯人像はまったく浮かび上がらず、それもそのはず、それが専制君主の世界。キリスト教を公認した大帝の子らの時代。神への関心の高さは人間への関心に反比例したのか。個性はバラバラ、無頓着な長男、陰気な次男、やんちゃな三男。共通項は、実質的な軍事経験ゼロ。加えて、この時代、宦官(エウヌコス)がネットワークを強化してきた時代。若き皇帝は、それぞれ、耳に吹き込む佞臣にちやほやされるに事欠かず。早速お耳に入れましょう、我が君コンスタンティヌス二世、あなたの取り分、少な過ぎじゃありませんか?後悔人間コンスタンティヌス二世、末弟に異議申し立て。いまさら何を、お兄さん。どこ吹く風の三男坊。ダキアに赴く隙をついて、コンスタンス襲撃を目論むコンスタンティヌス二世、戦闘らしい戦闘もないまま兵士に逃げられたところを捉えられ、近くの川に棄てられる。父の死後、わずか三年也。死んだ兄の担当地域の行方を決めるため二男と三男が激突か…と思いきや、話し合いもなく、当たり前のようにやんちゃな三男コンスタンスが継承。内気な次男はなすがまま。牙を剥くのは後回し。ラッキーボーイが転落する時。幸運続きで戦果は上がったコンスタンス、十年の治世は己の軍事的才能のゆえと過信。蛮族撃退への貢献を評価されない蛮族出身の精強軍団、表向きはマルケリヌスを、実は歴戦の軍人マグネンティウスを御輿に担いで、ついに反旗を翻す。コンスタンスの心に緩みに、まさかのクーデター。コンスタンスを廃してマルケリヌスを擁立したマグネンティウスらの報に接し、コンスタンス慌てて逃走するも、ピレネー山脈のふもとで追いつかれ、殺された遺体は山犬の餌食に。残ったのは、コンスタンティウス、ただ一人。二男が頭を悩ませたペルシャ王シャプールとは休戦協定、急ぎコンスタンティウス、西に軍を向ける。もはや傀儡はいらぬとマグネンティウス、自身が起って、まず自分を副帝に、と話合いを持ちかけるも、コンスタンティウス、権力独占への手は緩めず。即断で拒絶。父帝お得意の「お告げがあった」の演説で、帝国をまとめると、対決へ。マグネンティウスに合流されてはたまらぬヴェラトラニオを先に叩くと、マグネンティウスを裸に。裸の逆賊、かつて粛清で夫を殺されたコンスタンティーナと互いに接近し合い、策謀を成そうと動く。右腕が欲しい、インドア皇帝コンスタンティウス、やはりかつて粛清で孤児にしたガルスとユリアヌスを思い出す。いまだ年若く、おまけにギリシャ哲学に傾倒しているユリアヌスは補欠、まずはガルスを副帝に立てる。ガルスに東方を任せ、いざ、マグネンティウスと雌雄を決す。幾は苦手なコンスタンティウス、大勢の戦死者を出す。マグネンティウスも兵力を失うが、戦巧者ではあった賊将、皇帝に一矢報いて敗走に成功。ここでもまた、皇帝は勢いに乗らない。乗れない。慎重に最終決戦の場を決めると、ようやく内向皇帝、動く。支持を失い続けるマグネンティウスも、共同皇帝に立てたデケンティウスが街々で門を閉ざされ、待つのは絶望のみ。マグネンティウス、無念の自決。こんスタンスの殺害から始まった内乱処理、三年でようやく決着。小心皇帝、ゆえに、ここで残虐性を一気に露見。マグネンティウス側の人間を大虐殺、結果、ガリアの防衛は無防備に。これが次の悩みの種。宦官の甘言だけを信じる孤独な皇帝、心は開かなかったが利用はした副帝ガルスに、その残忍性を向ける。宦官に阻まれ、情報を遮断され、あるいは監視されながら、突如副帝の任を負うたガルス。息苦しい孤立無援の皇宮生活は耐えがたく、やがて思春期を穢されたガルスの残忍性も顔を出す。ユダヤ教徒とキリスト教徒との衝突に軍を出して介入し、ユダヤ教徒に肩入れした町も町民も皆殺し。ここまで我慢して健闘するも、重なる宦官の讒言を信じた皇帝から、こたびの粗相について呼び出し。イコール、実はコンスタンティウスにすれば、マグネンティウス無き後、ガルスは不要。更迭、そして拷問→死刑。肉親を殺し、あるいは失うことには慣れてしまっていたコンスタンティウスの、蛇のような冷血が炸裂。兄貴の次は弟だ。次に呼ばれたのはユリアヌス。学究一筋、ギリシャオタク、権力なんて興味ありません。そう言い逃れて一命を取り留めたユリアヌス、それがゆえに、衰えるガリアの防衛線対応のために副帝に抜擢される。学究一筋、ギリシャオタクは方便に非ず、事実剣も握ったことがない青年ユリアヌス、運命のままに歴史の舞台に引き上げられる。このユリアヌス、不器用ではあったが、失敗を繰り返さない聡明さと、失敗を教訓として結果につなげる胆力には恵まれていた。その純粋さと力量によって、頼りなき副帝は、次第にベテラン兵士らの支持を集めてゆく。古来からの難関ガリア行は、ユリアヌスを成長させた。ライバルの芽は摘む。それがコンスタンティウス流。だからこそ、この成長は慎重さを要す。フラビウス・サルスティウスという練達の軍事長官にして、数少ない友人を得たユリアヌス、生真面目に『ガリア戦記』も陣中で読んで、蛮族侵入に晒されるガリアの防衛に起つ。ゲルマンでも名高きアレマンンノの勇者たちを前に、積極戦法で不屈の闘志。実に、ユリアヌスの手によって六年ぶりにライン河はローマの手に帰る。一歩進めば、コンスタンティウスが邪魔をする。そうやって一進一退、外敵と内側の敵と切り結びながら、勝利を妬みはするが応援はしない皇帝を背負って、前線を下げ続けながらも屈しない、三倍の数のアレマンノ族との決戦に進む。兵数に勝り、堅固な城砦を要するアレマンノ族の裏をかいて、頼りない包囲からの攻城線ではなく、抜擢したセヴェルスの才覚を活かした伝統的ローマ戦法で、定石を崩された敵軍を撹乱、戦局の主導権を握って逃げるアレマンノ族を追撃すらしたこの一戦、ストラスブールの勝利は、帝国後期以後のローマ史で久しぶりの完勝。ユリアヌス、ここに、名実ともにローマ帝国の「インペラトール」となる。意地悪皇帝でも、遊んでいた訳には非ず。ユリアヌスが西で結果を出せば、コンスタンティウスはドナウ河畔のサルマティア撃退を完了。皇帝、ここに凱旋式挙行を決定。記念すべき、これが、ローマでの最後の凱旋式になろうとは。その詳細は、タキトゥスの文学上の弟子とでも言うべきアミアヌス。マルケリヌス『歴史』に。そのリアルなノンフィクションが描きだす、コンスタンティヌスは、やはりリアルに最低な男のようで。といって、コンスタンティヌスにも孤独な自己演出が必要だったわけで。一方のニューヒーロー・ユリアヌス、ようやく落ち着いてガリアの統治に着手。法の見直し、減税政策、海賊掃討による安全保障の確保。その再興を図る。ちなみにコンスタンティヌス、キリスト教への貢献度からいえば、父にも劣らず。大帝コンスタンティヌスが打ち出した保護と振興策をさらに補強し、キリスト教の公認→キリスト教のみの優遇→ローマ伝来の宗教を排撃、のステップで、キリスト教の国教化を強力に推進。ちなみに、誘惑を退けた伝説の隠遁聖者アントニウスは、この時代の聖人、御年106歳也。(了) 【送料無料】ロ-マ人の物語(38) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/05/02 06:39:21 PM
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