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カテゴリ:雑記、手記
2011年もいよいよ残り数日。皆様いかがお過ごしでしょうか。2011年のテーマは、「死との舞踏」でした。その意味するところを、今年冒頭の記事から抜粋してみますと、
「この言葉は、聖書、それも12世紀の聖書に挿絵として描かれた、“メメント・モリ”を視覚化した骸骨との舞踏=「死の舞踏」から来るもので、それについてどのようなスタンスを抱いているかは3年前の著作で触れているワケですが、ようやくここへ来て、そろそろもっと「死の舞踏」と踊ってもいいんじゃないかな、と思ったのです。(中略)別にネガティヴな意味があるわけでは断じてなく、“メメント・モリ”の意味どおり、死つまり「命に限りがあること」を常に頭に覚えて、今の生を目一杯生きる。つまり、生を輝かすためのダンスを、もっともっと楽しんで、真剣に踊ろうという意味なのです。(中略)今年は、「死との舞踏」を通じて、日々に無数に見出せるだろう、生の喜びひとつひとつに愛情をもって接し、人間本来の生命力を謳歌する一年にしたいと思っています。」 ちなみに、それ以前の毎年のテーマは、 ■2006年「欲張らず、必然的でリアルな目標へ邁進」 ■2007年「ライヴ感を取り戻し、身の振り方を考え直す」 ■2008年「最優先で大切にすべきものを守る」 ■2009年「柔軟性ある持続力」 ■2010年「粋な実験、地道な実践」 でした。結果的に、これらは必然的に、実は連続性を持ってしまっているように、今は思えるのですが、さて、「死との舞踏」を掲げた2011年。それを踊り切ったと言えるかどうかは、つまり精一杯生きたか、ということを自問することです。 その答えは、イエス、だと強く言えます。勿論、100点ではないし、掘り下げるべきものを掘り下げ切れずに、否応なく別のテーマへと誘われそこを掘るような場面もありましたが、結果として、一人の人間として、一つの体でできる以上のことを、まさに「柔軟性ある持続力」で手がけてきましたし、大切なことやものを、守れるだけ守ってきたと思います。ですので、正直、2011年末に来て、ボロボロな状態ではあるのですが、一体、この舞踏はタンゴかサルサなんでしょうかね(苦笑)。 そして、「粋な実験、地道な実践」も2011年に始動しました。総体的に見て、この5、6年のテーマを、すべて2011年で踊り切ったような感じです。 3年に及んだプロジェクトも年始には終了します。同時に、心躍る新しいテーマ、ライフワークがすでにスタートしています。ふたたび、原稿で誰かに感動していただくこともできました。文筆家としての魂の復活です。『ローマ人の物語』読破&変則書評も達成。また、周囲の協力で研究にも戻ることが出来ました。プライベートも目一杯、全身全霊、手抜きなしで取り組みました。道楽にも投資しました(笑)。2011年、もう何も言うことはありません。 ただ、春先の震災。年始にはまさか、あのような惨劇が起こるなどとはゆめ思わずに、「死との舞踏」というテーマを掲げた訳です(それが、いずれにせよ不謹慎なものでないことはご理解いただけるものと思います)が、はからずも、震災で被害に遭った方々、あるいはご家族やご友人をなくされた方々が多数いらしたことを思うと、“メメント・モリ”の意味は、もっと深いところまで突き詰めていく必要があると感じ、同時に、「命一杯生きる」ということは、単に2011年だけにとどまらず、私を含めたすべての生ある者の、責任と使命、そして何より喜びとして、受け止め、永遠に向き合っていかなくてはならないテーマと心新たにした次第です。 2012年のテーマはまだ言葉になりません。今年も、沢山の方々がブログに遊びにきて下さいました。引き続き、更新頻度は下がっても、どっこい生きてる当ブログを、どうぞよろしくお願いいたします。そして来る新年が、世界にとって、日本にとって、安心安全な一年であることを、心から祈っています。少々早いですが、年末のご挨拶、みなさま、よいお年をお迎えくださいませ。(了) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/12/29 02:54:04 AM
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