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カテゴリ:アート
更新が遅れました。『蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち』@千葉市美術館、東京国立博物館140周年 特別展『ボストン美術館 日本美術の至宝』、行って来ました。
千葉市美術館は、テーマを絞り込んだコレクションが豊富なことと、企画や学芸員の方々の意識や学識が高いことで、以前から素晴らしい展示を催していて注目していたのですが、だいぶ前に鈴木春信の特別展を見逃して、なんだか足が遠のいていました。 さて、曾我蕭白は、大好きな画家ですが、なかなかまとまった数の作品を一気に観るというチャンスがなく、今回の『蕭白ショック!!』までは、身近さを感じるまでにはいたっていませんでした。 しかしまぁ、『蕭白ショック!!』とは、大したネーミングで、蕭白のファンにとっても、そうでなかった人や蕭白を知らなかった人にとっても、あのショッキングな作風はインパクト十分だと思われますが、私の場合は、ある意味企画意図通りのショックを味わったという感じです。 つまり、蕭白が自分の中の「好み」のスタンダードになった、ということです。そういうショック=刺激を、感受性の回路に適切に与えてもらったということ。 ところで、自分の世界を広げることと、深めること。両方大事です。両輪ですね。後者の場合は、自分の中に「好き嫌い」の尺度を持つことが鍵なのかな、と思っていますが、「これ!!」と思えるだけのものに対峙しないと、なかなか尺度として感覚に据えづらいものがあります。安易に据えれば、「好み」がぶれますし、そのぶれは、深める力のかかる一点を広くしてしまい、鋭利さを欠いてしまいます。 そういうことで、自信を持って「好み」の尺度を据えるという作業は、不断に耳目を肥やすことに加え、慎重さも求められるのですが、『蕭白ショック!!』を浴びることで、曾我蕭白は、完璧に私自身の中の「好み」の尺度として起動しました。蕭白スイッチが入ったわけです(w)。 例えば、私は仏像すべてのことに詳しいわけではまったくないのですが、運慶の作品を間近に体感して、ズバッと体の中に尺度として据わってくれたとき、少しずつほかの仏像や仏師のことが学べるようになりました。 それと同じように、蕭白を通じて、日本の美術について深まる部分があれば、ひいてはそれが別の関心分野を同時に深化してくれるでしょうから、世界観に広がりも出てきます。そういう尺度を見つける身体的/内面的な旅というのは、永遠に果てがないのですが、実に楽しいものです。 もしや見逃すかも…と思っていた『ボストン美術館 日本美術の至宝』展、も、ひょんなことから観ることが出来たのですが、ここでも蕭白の重要な作品を堪能できましたから、二つの展示で、蕭白を一気に体内に取り込めたことは幸運でした。 しかし改めて、ボストン美術館。日本にあったら、そのほとんどが重文か国宝だろうなぁ…というようなお宝ばかり。この展示も、規模的にはもうなかなか実現出来ないレベルということですが、それもそのはず、展示室二つだけで、十分一級の美術館が作れるだけの内容です。恐るべし、ボストン美術館。 入口、一発目に置かれた岡倉天心の像は、有名な釣り人姿。その竿で何を釣り、その魚籠に何を取りこんだか。飄々とした天心像の内側に隠された、希代の天才の美への執念と、気宇壮大な野心を噛み締めながら巡るこの特別展。そんな愉しみ方もまた、天心の百年の計のうちなのでしょうか…(w)。『ボストン美術館 日本美術の至宝』展もまた、別の意味でぴりぴりとショックを感じさせる“戦慄の特別展”でした。(了) ▲目の焦点が、蕭白の描くディティールの奇抜さに、さらなるショッキング効果を与えています。うーん、トラウマものの衝撃度ですが、よくよく見ると、思わず吹き出してしまうような黒いユーモアセンスも感じます。 ▲性懲りもなくコンセプトも謎のガシャ一回300円也、やってしまった…。謎過ぎ&ヤッパリな出来映えに、その場でガックシ。でも、この発想は笑えました。ここまでやるとは…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012/05/21 07:07:02 PM
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