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tkokon

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2007/05/15
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前回までの続きです。

書いているうちに、「あれも・これも」となって、当初思っていたよりも随分と大掛かりになりましたが、ようやく本題に入れる感じです。


歴史人口学の本を読んで、現在の少子化問題について感じたこと。


前回・前々回に書いた内容の繰り返しになるのですが、過去の人口増加時期の条件と比べると、

■現在は、「次世代(子供・孫の世代)に幸福を引き継ぐ力」が圧倒的に足りない

■現在は、子供を産む・育てる ということに対する、家族・コミュニティーの役割分担が、確立していない(もしくは、現在の生産システムに合致していない)


ということで、これでは人口が増やせと言う方がムリがある、という気がします。

だからといって、江戸時代のシステム・役割分担(母親は子供を産んで育てるのが役割。子供はどんどん分家していく…)を踏襲すべき、という話ではもちろんなくて、現在の世の中で最適なシステム・バランス・役割分担は何か、ということを考える必要がありそうです。



■「次世代(子供・孫の世代)に幸福を引き継ぐ力」の不足について:

人口が増加していた時期に比べ、現在は「生まれてくる子供は、自分と同じくらい・もしくはそれ以上幸せになれるか?」という質問に対して、「はい」と答える余地が圧倒的に少ないように思います。ましてや、「子供が3人でも5人でも、その質問には『はい』と答えられる」と言える人は、極めて少数派ではないかと。
しかし「じゃぁ、仮に子供が5人出来たら、子供は餓死してしまうか?」という質問には、殆どの人が「そうはならない」と答えると思います。

つまり、「食べさせることのできる子供の数」よりも「自信を持って幸せに出来る子供の数」が圧倒的に少ない。なぜか?

一つの理由として、やはり経済的な要因は無視できないでしょう。「子供を一人幸せにするために必要なお金」と「子供のために使えるお金」との間のバランスが、「子供がたくさんいても、彼らを幸せにできる」という思いにブレーキをかけているのではないかと。例えば、


-「子供に幸せを引き継ぐ(=子供に自分と同じ・それ以上の幸せを体験させる)」には、「子供に食べさせる」以外、教育・娯楽等に莫大なお金がかかります。
「自分が教育にお金をかけてもらった、という自覚の強い人ほど、自分の子供の教育にお金をかける」という調査結果があったように思います(うろ覚えですが)が、それが正しいとすれば「子供の頃おかねをかけてもらって幸せを実感する人」ほど「子供に幸せを引き継ぐために、お金が必要」ということになります。
つまり「親世代に幸せにしてもらった」人ほど「子供の幸せのために必要なお金が増える」ともいえそうで、これでは、「3人でも5人でも子供が産まれても、彼(女)らは幸せになるだろう」と言う具合に、幸福を引き継ぐことはできません。


-社会全体で見ると子供以外にも「扶養」コストが大きい
江戸時代には「夫婦は、子育て完了とほぼ同時に、人生を全うした」ので、社会全体で見ると「お年寄り」を扶養するコストが殆どかかりませんでした。
ところが、今は日本人の平均寿命で言えば、子育てが終わってから30年近く(乱暴に言えば、子供が生まれてから、成人するまでの時間よりも長い期間)生きることができます。
その期間、、社会全体で見ると彼らを「扶養」する必要があります。(「働けるうちに、老後に備えて貯金する」というのも、今の自分が将来の自分を扶養する、ということで話としては同じです)

その分、社会全体で考えると「子供にかけられるお金」は減ってしまいますので、「親が幸せに出来る子供の数」も必然的に減ってしまいます。

(※言うまでもないことですが、お年寄りは尊敬すべきですし、尊敬していますし、お年寄りを社会が「扶養」することが悪いことだ、というつもりは全くありません。むしろここで言いたいのは、そういう環境(少子化問題に対しては「逆風」です)に対応しなければ、問題は解決しないのではないか?ということです。)



もう一つの理由としては、経済的な成功は、子供を幸せにするたけの十分条件ではない、ということ、つまり、「社会的に多くのものを生産しても(=お金をたくさん稼いでも)、子供に幸福を引き継ぐことができない」ということがあると思います。

お金持ちほど幸せを引き継げるなら、収入の多い人ほどこだくさんということになりますが、(たぶん)統計的にはそういう事実は無いと思いますので、「お金を稼いでも、それは子供を幸せにする能力とは関係が無い(弱い)」ということを、多くの人が実感として持っているということだと思います。

では、子供に幸せを引き継ぐために必要なものは何か?というと、例えば愛情をかけるとか、子供と過ごす時間を作るとか、「お金以外のもの(特に時間)」が必要です。これは、親が社会でものを生産する能力(=お金を稼ぐ能力)とは、無関係ですから(むしろ逆相関かもしれません)、おのずと「親が子供のために使える時間」によって、「親が幸せに出来る子供の数」にも制限がかかってしまいます。
つまり、親の「時間」が「幸せを子供に引き継ぐ」ためのボトルネックになってしまう、ということになります。



上記の「解決策」というと難しいですが、「こうならなければ解決しない」ということをいくつか挙げるとすれば、

●「親が莫大な教育投資をしなければ、子供は幸せになれない」という状況(もしくは、そういう社会の共通認識)は、徐々に解消されていかなければなりません。
働きながら教育を受ける(自分で自分に教育投資ができる)ことの自由度が増したり、 子供の頃に良い学校に行く⇒社会人になる際に良い会社に就職する⇒幸せ、という「親による就業前の莫大な教育投資」が割りに合わなくなってくる、という環境変化が進めば、 代わりの「幸せロールモデル」が出てくるのではないかと思います。

そうなると「お金をかけなければ子供を幸せにできないかもしれない」という状況は多少は緩和するのではないかと、思います。


●お年寄りが「扶養される」立場から「扶養する」立場にならなければなりません

定年退職・育児完了後、数十年生きられる、ということは「まだまだ現役でがんばることが出来る」ということを意味します。
社会で生産する(=働いて金を稼ぐ)ことをしてきた人が60歳で定年を迎える、扶養される立場になるのは、あまりにも早すぎます。
専業主婦など「お金を稼ぐ」以外の方法で社会に貢献してきた人(主婦など)は、子育て(孫育て)によって、社会に対して価値を与えることができるでしょう。
まだまだ元気な彼らが「扶養される」立場というのは、明らかに不自然で、この状況も緩和されるのではないでしょうか。(現に、多くの元気なお年寄りは、「社会に貢献したい」と考えているように思います。


●子供を幸せにするための役割分担が進み「お金以外のボトルネック」が解消されなければなりません
確かに「親の愛情は重要」ですし「親の時間は有限」です。しかし、子供が幸せになるために「親が時間をかけることが望ましい」ものと「親が時間をかけなければならない」の区分は、今後相当自由になってくると思います。(「赤ちゃんには直接授乳しなければならない」のか「赤ちゃんには直接授乳する事がのぞましい」のか、という違いです)

本当に親にしか出来ないもの(例:出産とか>これすらも、医学的には母親限定ではなくなりつつありますが…)以外は、役割分担が進み、「自分が時間を使えない場合の代替案(例えば、保育園やベビーシッターなど)」の整備が進むと思います。
また、これらの代替案の活用しても子供の幸せが犠牲にならない、という理解・意識が進めば、「代替案」を活用することに対する、両親の罪悪感が軽減されるため、「親が子供にかけられる時間」にレバレッジがかけられるようになり、親の時間の不足が、子供を増やすことのブレーキにならなくなっていくのではないでしょうか。



…続きます。





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Last updated  2007/05/15 11:37:19 PM
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