カテゴリ:社会
北海道新幹線に乗って仙台まで行き 昨年全線復旧した仙石線で石巻に行ってきました。 2011年3月11日の東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受け約4000人の尊い命を失った石巻 夫は震災後間もなく瓦礫だらけのところに行っており、その後の様子が知りたいと再訪 タクシーに乗って被災された運転手さんのお話を聞きながらあちこち見せていただく。 運転手さんが住んでいた住宅は全壊 妹さんは会社に行っていたので大丈夫と思っていたところ、 会社から家に戻ったため家のすぐそばの車の中で亡くなっていたという。 「『大津波が来ます』と放送が入り いつもの津波ではなく大が付いていたので自分はすぐに高いところに逃げたのに 妹はなんで家に帰ったのか、今でも考えてしまう。しばらくは家のそばに近寄れなかった よく幽霊が出たというけれど、妹は一度も出てこない」 と話してくれました。 膨大なごみは処理され、トラックが多数行き来しきれいな更地にされ、 一番先の防波堤 その後の防潮堤(7,2m)に守られて 日本製紙や水産会社などの大きな工場は稼働しており、 更に盛り土をした高い道路(防潮堤と同じ高さ) 3重に守られた場所に住宅も建ち始めていました。 ただ、ほとんどの人々は2駅ほど離れた蛇田などへ集団移転、 運転手さんも借金をして蛇田に家を建てたとのこと。 仙石線に乗ってきたときに見えた盛んに工事をしている新興住宅地がそれでした。 海のそばで暮らしていた人がこんなに離れたところに住むのはどんな気持ちなんでしょう? 草に埋もれそうになりながらも可憐なスミレに守られていた家の土台、 1階がすっぽり抜けたお寺、津波で全身が緑になった良寛様など まだ手付かずのところも数か所ありました。 「大きな会社は復興して稼働しているけれど、小さなところは再建不可能。 駅周辺にも津波が押し寄せ被害にあい、飲み屋街もまだ開けられないところがある」 と、運転手さん 石巻の復興は他の地域に比べると早いと言われるそうです。 夫も5年前との変貌ぶりに「人間の力はすごいなあ」と驚いていました。 それでも一緒に回ってくれた運転手さんのお話しを聞くと 復興はまだまだなのだとわかりました。
「福島の人は本当に気の毒だ。」 自ら被災している人だからこその優しさあふれる重みのある一言でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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