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カテゴリ:日々の雑事
お彼岸の墓参り帰省から帰宅しました。
祖父母亡き後、唯一の息子だった叔父は独身を通していたので現在一人暮らし。恐らくこれまで勤め人をしたこともないと思いますが、農地もあるし、山できのこや山菜を取ったり、最近は庭先に小さな鳥小屋を作って烏骨鶏を飼い始め、ほぼ自給自足の生活です。 我々が泊まりに行くと、隣人の自家菜園から野菜を大量に引き抜き、大型冷凍庫から鹿や猪や飼ってる鶏の肉などを出してきて、唐辛子・にんにく・胡椒たっぷりの美味いエスニック料理を振舞ってくれるので、私の帰省はこれが目当てだったりするのですが、私の両親を含めてその他の親族にはこのタイ風料理は至って評判は悪いようです。 まあたしかに、作ってる叔父は既に70歳ではあるのですが、年寄り向きではない味かも。放っておくと私でも食べられない超辛スープになったりするので、途中で味見をしつつ、極力皆が食べられるように鍋から唐辛子を拾い出すのが私の仕事です。 上で書いたとおり、叔父は隣人の自家菜園にフリーパスなわけですが、叔父の鶏小屋も隣人たちはフリーパスで、勝手に卵を取っていき、代わりに野菜やらコーヒーやら何やらが鶏小屋の上に置いてあるのだとか。叔父が山に行って何か大量に取ってきたときも、近隣に適当に持って行っているようです。 一世帯で、作れる作物の数は限られていても、近隣で融通しあうことによって、田舎の経済は貨幣を介さずにこうしてうまく回っているのですね。 体を壊す前、私は生産性分析の研究をしていたのですが、こういうのをみると、貨幣で量れる経済よりも、貨幣で量れない経済の方がずっと豊かな気がしつつあります。東京で生活をしている私の親も、田舎の農家で現金収入が300万あれば、都会の年収600万の勤め人とほぼ同程度の生活ができると言いますが、おそらく生活実感としてそんなところでしょう。 さらに面白いのはこの叔父、近隣農家だけでなく、近所のタイの女性たちとも仲良しで、彼女たちは家の冷蔵庫の中までフリーパスな模様。うちの親がいるときに遊びに来て冷蔵庫からビールを出して飲もうとして、「それうちの分だ」と慌てて止めたという話を聞いて皆で笑いました。 現金収入などほとんどない年寄りなのに、なんだかわかりませんが、よく携帯にも複数のタイ人の女の子から電話がかかってきます。たぶんよく野菜や廃鶏を分けてあげたり、皆で一緒にご飯作って食べたりしてるんですかね。 ちなみに叔父は日本語しかしゃべれませんが、タイ語しかしゃべらないタイ人専門の食材店の女性とも顔見知り。私も何度か連れて行ってもらったので、この店には帰省のたびに立ち寄って買い物をします。 今回は、叔父の知り合いのタイ人女性マッサージ師に来てもらい、両親ともマッサージしてもらいましたが、格安の友人割引料金になりました。 まあ、一人暮らしで偏屈に引きこもられるより、家に人の出入りが多く楽しく暮らしている方が、身内としてはずっといいし、やはり独身でいい歳の私としても将来に結構希望が持てる気がします。やはり、楽しい老後のキーポイントは人付き合いなんでしょうか。 病気で仕事が出来なくなって、収入がどんどん少なくなっていく過程では、非常に恐怖感が大きかったのですが、まあ万一仕事を辞めることになっても、ああいう暮らし方もできるし、自分で完全自炊生活をやってみるとさほど出費も大きくないので、貧乏も慣れてみるものかもしれません。 借金抱えたらまた別の恐怖があるので、それがないことが前提ですが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.03.24 14:07:32
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