カテゴリ:ママのこと
10/14はワタシの友人の命日です
丸4年が経ちました 元勤めていた会社の同僚の男子 2歳年下だけど、30歳を超えればそんな2歳なんて差は大した問題ではなく… ワタシが当時暮らしていた実家と、彼が1人暮らしをしていた家が近所(車で15分ぐらい)ということもあり、よく仕事帰りに飲んだり、カラオケしたりする仲良しの同僚でした。 仕事の愚痴もあり、将来の夢や希望の話もあり、お互いの彼や彼女の話もあり… とにかく2人共、お酒が好きで&強かったので、ホントによく飲んだなぁ~ 金曜日なら朝まで何てこともざらでした ある日… 「ちょっと体調が悪いから、明日午前休とって病院に行ってくる」と言っていた友人 「どこが悪いの?」と聞くと、「内緒」と言って教えてくれませんでした その翌日のお昼頃、たまたまとった会社の電話は彼からで、緊急手術になったとのこと 「どこの手術よ?」と聞くと 「笑うなよ 絶対笑うなよ それと声に出すなよ 他の人に聞かれるなよ」との念押し 「わかったよ」と答えるとその回答は 「睾丸を取るんだぁ」 「はぁ???」と何の病気かもよくわからないけど、なぜか笑ってしまったんだよなぁ~ 手術の翌日には関西からご両親が駆けつけてきて、ワタシもお見舞いに行ったっけ そして1週間後に病理検査の結果が出て、告げられた病名はガン 精巣ガンだったんです 既に肺に転移が見られたので、早急に抗がん剤による治療を勧められて… 本人は横浜での治療を希望したものの、一人で耐えられるような治療ではないと主治医から説明があり、 渋々関西の実家近くの病院へ転院していきました そしてそれからちょうど丸2年間 幾つかの病院での10回にも及ぶ抗がん剤治療、免疫治療、そして最後は藁をもすがる思いで受けた凍結手術 体重は20キロも減ってました 絶対に治る、絶対に治す、必ず社会復帰してみせると執念をもって病気と闘ってました 彼の勇気、根性、努力、何もかもに頭が下がりました 泣き言を殆ど言わなかったもんなぁ~~ 32歳になってすぐガンの告知を受け、34歳の誕生日を迎えた1週間後に旅立ってしまった友人 若すぎるぅ 彼が闘病中、お見舞いに行って話をした時に、 「自分の体が変だ、おかしいと思ったら、すぐに病院に行くべきだよ」 と教えてくれました 彼自身、ずっと前から体の異変に気づいていたのに、恥ずかしさからなかなか病院へ行けなかったそうです。 あの時にためらわなければ、早期発見・治療ができて転移を防げたのかもしれないとすごく後悔をしてました。 ワタシはその言葉を忠実に守り、今はちょっとアレ?と思うと病院へ行くようにしてます。 家族、友人にもみんなそうお願いしてます。 友人への供養は忘れずに思い出して、彼の話をすることかなぁ~って 今日は久々に、当時の同僚とメールでだけど彼の話をしました ワタシの母とも彼の話をしました そしてこうして日記にも残します ワタシなりの供養です。 彼が健康の大切さを教えてくれなければ、ワタシは何をも省みずに、当時のままがむしゃらに仕事をしていただろうし、 間違いなく子供を生むことはなかったんです 今の生活があるのも彼のおかげ 一生忘れることのない大切な友人です 彼の闘病記です MY奮闘記 彼が更新中は「MY進行形奮闘記」でした 彼は余命あと数日という宣告を医師から告げられました その数日をどんな思いで過ごしたのかと思うと今でも涙が出ます 彼が旅立つ4日前に友人達へつづったメッセージは、通夜も告別式も済んだ6日後に彼のお姉さんの手で更新されました。 34歳の彼は、そんな宣告を受けた後にどんな思いでPCに向ってたんだろう?? 時間があったら、覗いてやってください と今日は育児とは無縁のお話でした。。。 ワタシの供養に付き合って読んでくださった方、どうもありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ママのこと] カテゴリの最新記事
|
|