うそ泣きの/指の隙間に/うそはなく
隣の3歳児クラスに色鉛筆を借りに行った。手がすべった。色鉛筆入れの蓋が開き、中身がバラバラと落ちた。とっさに「うそ泣き」をした。とてもわざとらしい泣き方だったしすぐに笑顔でうそがばれるようにするはずだった。ところが、隣のクラスの子どもたち、すごい早さで駆けより「大丈夫よ」「泣かないでいいよ」「はい(拾って渡してくれた)」さっちの背中をヨシヨシしてくれた。指の隙間から、本気な心配顔がいくつも見えた。子どもたちの輪の中にいて、うそ泣きの演技に引っ込みがつかなくなったさっちはかといって、本当に泣けるはずもなくかとかといって(←造語です)「うそでしたー」と笑えるはずもなくすごくマジメな顔で「もぅ、泣かないからね」と言った。ごめんね。ありがとう。胸がチクチク。。そんな子どもたちの姿を見て思った。さっちは園にいる時、何か嫌なことや困ったことがあってトボトボ歩いている時に、この園では一番最初に会った先生と話せるなぁということを日記にいつか書こうと思っていたのだけど。。でもそれは、子どもたちにとってもそうみたいだよね?と今日気がついた。どの先生にでもどの子にでも言って大丈夫だという。。そんな雰囲気ができている。来年度の入所も田舎で子どもは少なくなっている中、なぜかじゅうぶんな数。とりたてて『○○保育』という看板は掲げていないけれど口コミで広がっているものがあるとすればそんなところなのではないかなと思った。「○○先生がこないだ△△ちゃんに□□と言って下さったから今日○○ちゃんはこんなこと、したんですよ」少しの時間でも子どものことをそんなふうに語り合えるから子どもたちには何らかの安心が伝わっているはずだ。うそは無くうそは泣く