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カテゴリ:◆日記◆
我が家の子供たちはそろって言葉数が少なく
人前で自分からすすんでやるタイプではない。 コンジュの担任からは 「口数がすくなくて。もっと積極性をもつように家でも働きかけてほしい」 というようなことを言われ、 義父からも子供たちをもっと積極的になるように育てろ と言われて... はいはい、十分わかってるんですよ。 確かに自己主張を言葉でできれば 相手には伝わりやすいし、 相手を説得する手段としても 今のグローバル時代には必須だということ。 でも口数が多くて活動的ならば 積極的でいい子なんでしょうかね? みんながみんなそれを求められなければいけないのか? 上の2人は集中力があるし、 それぞれの表現方法を持っていると思っている。 コンジュは文章を書くことで とっちは絵を描くことで。 その子の持って生まれた性質ってのもあるし育つ環境もある。 まだ可能性のある子供たちだからこの性格のまま 大人になるってわけじゃないし、 もうちょっと長期的に見れないものだろうか... 実を言えば自分は 小学生の国語の時間 挿絵にあったうさぎの絵を見て 「このうさぎは何を考えているでしょう?」 なんて質問をされて 答えに困って泣いてしまったくらい 小心者で自分の意見なんて言えない子だったし 常に通知表には積極性がほしいとか書いてあるくらいだった。 けれども 中学に入ってからは代表委員とか部活の部長とか 合唱の指揮者とか演劇の主人公とか 果ては生徒会の選挙に立候補もしたくらいでしゃばってた^^ これは通った中学校が小規模でとにかく行事が多くて いろんな役割を分担してやる機会が多かったということと 先輩たちのやることを引き継いだり、 一生懸命な先輩たちにあこがれたりしながら 自分もああなりたいなあというモデルが身近にいたから だろうと思っている。 勉強面では受験を乗り越えて学校に入ったことである程度自信がついた 運動面では毎日朝早くから部活の練習や大会で基礎体力と目標をもって 続けることを学んだ。 学校行事で忙しい中ギターのレッスンは続けていたし 片道50分の通学。息つくひまもなく忙しい中学生活だったけど このときの環境は今の自分に大きく影響していると思う。 でもここでの学校生活はどうなのか? (うちの子たちの学校ではということだが...) まず何かに向かって周到に準備するということがない。 行事にしたって運動会の練習なんてほとんどないし、 学芸会は習い事の発表の場と化しているし、クオリティは低い。 よく言えば臨機応変。はっきり言わせてもらえば秩序がない。 生徒会や学級委員でなければ 自分が任される仕事というのはないし 責任もって自分の仕事をするという機会がない。 それなら勉強はというと 塾任せなところもあるようで 中学生のコンジュは 「塾で習ってなかったら学校の授業ついていけないと思う」という。 私の学校時代には勉強のやり方やノートのとり方も 先生が示してくれる方式に従ってやっていたと思うが そんなことは教えてもくれないし ノートを使わない、つまり書いてまとめるということをしない教科もある。 日本の小学生なら漢字、計算、本読みなどは毎日のようにでる宿題だが これは少しずつこつこつ積み重ねるという意味もあると思っている。 ここではそんなことは親が家でやらせない限りそんな習慣はつかない。 このような環境で何を身につけ何を感じどんな人格形成がされるのだろう... 習い事や塾に追われ、勉強、勉強といわれ続け 一息するのは無気力にPCやケイタイを見ること。 一生懸命になれることも楽しいこともない... そんな教育に関する話をパパにすると 「だから日本で学校行かせろって言っただろ」 と言われがっくりくる。 そうできるならしたいけれどそんな簡単な問題じゃない。 一方では自分の知っている日本は昔の話で今はまた違うのかもしれないし 結局どこにいてもこれがベストだということはないのでは?と思ったりも。 だから子供たちにはこの与えられた環境の中で いかに多様な機会に触れさせ オンリーワンの自分を作っていき どう自分を生かして発揮していけるのか それを考えているのに 頭ごなしに勉強しろ、積極的になれ、と言われたって 腹がたつ話... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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