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カテゴリ:ひよっこ
■あまちゃんとひよっこが英訳するとほとんど同じ単語になるように、どちらも半人前の主人公が田舎から東京に出て様々な経験をへて成長していく物語であったはずだ。そしてこの時期、前者では主要登場人物たちが北三陸に戻ってきて大円団を迎えようとしていた。
■締まらないなと思うのは奥茨城で始まったドラマであれば、やはり奥茨城で終わって欲しいという願望があるからだろう。それだけあの故郷にはもう一度触れてみたい風景があり、もう一度会ってみたい人たちがいる。家族みんなが故郷を捨てて東京に移り住むドラマではないのだから。 ■主人公が何のために上京したのかはわかった。そこでどんな人たちに巡り合ったのかもわかった。そこでどんなことがあったのかもわかった。そしてその目的のいくつかを果たしたこともわかった。 ■歴史に残る何かを果たしたヒロインの物語ではない。だから彼女が半年間で成し遂げたことが誰の目にも明らかな何かでなかったとしてもそれはそれでかまわない。つまらない女だと言われようが、若いくせによく頑張ったと言われようが、所詮彼女の日記に付き合っているだけなのだから。 ■あまちゃんとの決定的な違いはたとえばスナック梨明日とバー月時計のお喋りにある。前者にはたいてい女と男がいて、果てしない妄想や感傷には必ずツッコミを入れる者がいた。エレベーターに5時間閉じ込められた話ならその純情成分は50%絞り出されてしまっていただろう。 ■一方、月時計での会話のほとんどは女性たちが集まってするそれであり、語る側の気分を一切損ねず、誰もがまるで自分に降りかかった夢の様に自分の身に置き換えてその妄想に追従する。漫画家ふたりでも素面では描けないような5割増しの美形のヒーローを思い浮かべながらね。 ■たとえば、同じシチュエーションを坂元裕二なら宮藤官九郎ならどう描くか。そんなことを想像しながらシシド・カフカの恋バナとそれを聞いている女たちを見ていた。食い入るようにこのドラマの行く先を案ずるもの以外は画面の隅に映る台風の行方の方に気を取られてしまったとしても無理はない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017/09/18 05:10:09 PM
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