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カテゴリ:ひよっこ
■ドラマの登場人物の他に一番気になっていたのは毎日タイトルバックの中盤あたりに見かけるミニチュアの女の子の姿だった。その動きは色鮮やかな都会のネオンをバックに誰かを探しているようにも、何かを伝えようとしているようにも見え、その彼女の心細さのようなものがこちらの胸をいつもざわざわさせた。主演女優はもちろん、脇役陣も新旧含めて好演が光ったドラマの中で私の一押しはこの名前のない女の子だ。
■連続テレビ小説というのがこの枠のドラマの正式名称だが、小説にしろ、ドラマにしろ、自分の心に響く描写が数多く存在していれば嬉しいと感じる私にはこの半年間は十分至福の時間だった。そこにはもちろん、辻褄とか整合性がなくてはならないけれど、必ずしも全ての事象が解決されなくてはならないものではない。 ■最後に回収されたのがすずふり亭に預けておいた重箱だったというのは暗示的である。あの場にいた人たちは誰もあえてその箱を開けてみて、その隅をつついたり、ほじくったりすることは一切しなかった。 ■「あまちゃん」同様、音楽の力もこのドラマの推進力に一役買った。ひょうたん島から涙くんまで一貫して家族で歌われたのは脱涙という主張。でもそれを歌うから泣いてしまうという人間賛歌でもある。個人的には夜の裏天広場でヤスハルの歌った三部作「バラが咲いた」「この広い野原いっぱい」「空に星があるように」が胸に残った。 ■今日この最終回を見終った後、「あまちゃん」「カーネーション」の最終話を見返してみた。三作品共通しているのは、原点に返るという様式(「ひよっこ」ではみね子、時子、三男の頑張っぺポーズ・「あまちゃん」では北三陸線の開通式(そこにも有村架純!)・そして「カーネーション」では第1回の冒頭シーンの復元!)であり、タイトルバックの終盤への移行である。 ■終盤流れたクレジットではそこに映っている画面の情報量(担任津田寛治も登場!)によって見落としがちだが、再度録画で確認すると、有村架純の役名が前田みね子に、和久井映見のそれが牧野愛子になっていた。そしてあのミニチュアの女の子はいつの間にかこの物語から退場していた。 PS ●せっかく増田明美に語り手を任せたのなら物語の途中、ペース配分に気をつけてという忠告くらいはして欲しかったところだ。でも無事完走は良しとしよう。そして最後くらい彼女のクレジットに役名イチコと表記しても良かったのでは。最後に有村架純が語りかけていた相手は間違いなくあの人形だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017/09/30 05:58:45 PM
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