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4才の娘と一緒に街を歩いていると、「お母さんに似てる」と言われるけど、実際は夫の方がよく似ています。
夫を知っている人は、皆それに同意します。 女の子は父親に似ると、よく言われますものね。しかし、夫よりもさらに、夫の母、つまり私のお姑さんによく似ているのです。 世に言う、隔世遺伝というやつですか。 娘が赤ん坊の頃は、わりと私にも似ているかも、と思っていました。 けど、年々私とはかけ離れていく感じ。 その分、年々義母に似ていく感じです。 ちょっと前に義妹が結婚式を挙げたのですが、その時の親族集合写真が先日届きました。 そこに写っているのは、確実なる血脈のあらわれ。 義母とその兄妹たちは、似ています。 特に姉妹は同性と言うこともあって、よく似てる。 そして、その子供(夫のいとこ)も夫とは一見似てないようでいて、それなりに血の繋がりを感じられるものがあります。 そして、夫の兄妹。 夫自身は、義父にも義母にも半々に似ているという感じ。 主役の義妹はかなり義父似。 義兄はかなり義母似。 よって3人の兄妹が、義父母の間に年齢順に並ぶと、きれいなグラデーション(という言葉を色彩以外で使っていいものやら)ができあがります。 まさに遺伝子のなせる技。 そしてうちの娘。 写真の写りというのもあるのかもしれませんが、夫と私の間に立つ存在には見えません。 ここでは、完璧義母のミニチュア版。 義母の60年前の姿を再現したかのように思えます。 そして、恐いことに、夫よりも義兄の方が娘に似ているのです。 わざわざ断わる必要もないのですが、私が義兄と何かあったはずもありません。 単純に考えて、義母に似ているということは、いちばん彼女に似ている義兄に似ているということになるのです。 知らない人が見たら、娘と義兄が親子だと思うことでしょう。 そこで、私は釈然としない気分に襲われます。 生んだのは、私なのに。 なぜ、私の娘だという証が失われていくのだろう。 顔だけじゃなくて、体つきまで夫似(つまり義母似)。 髪の量の多さ、生え方まで夫似(つまり義母似)。 耳の形は義兄に似ているし。 爪の形だって、私とは違う、夫似(これは義父似)。 性格まで私と違う。 なんだか夫というよりも義兄によく似てると思う。 これまで、彼らは数えるほどしか会っていないのに……。 まあ、いいんですけど。 夫は娘のお父さんなんだし。 義母は娘のおばあちゃんなんだし。 ついでに義兄は娘の伯父さんなんだし。 でも、やっぱり釈然としないです。 夫の家族に娘をとられた気分です。 やれやれ。 あんなに痛い思いして、自分の体内から捻り出したのに、自分に似ているところがないなんて。 (「似てる」という人もいるわけだし、じっくり探せばどこかにあるのでしょうが……、細胞レベルでは似てるところもあるでしょうが……) なんだかちょっとつまらないです。 もちろん、娘は自分の子供であるし、愛情も世界のだれよりも強く感じています。 けど、自分と違いすぎて、自分と同化してとらえることはないです。 日々、別個の人間だと思えてきます。 (まあ、それが健全な親子関係であるともいえますが) 一般的に、母親は娘よりも息子の方がかわいい、ものらしいです。 そういう友人も少なからずいます。 娘より、息子の方がより自分に近いものを覚えるのでしょうか。 (逆に父親は、娘の方がかわいいと聞きますね) 私は娘1人しかいないから比較できないのだけど、微妙に感じる私と彼女との距離感はそういうことのあらわれかもしれないと思うこともあります。 そういえば、休日の夫の娘への甘やかしは、こちらが見ていてあきれるほどです。 確かに、夫と娘の結びつきには私と娘の間にはないものを感じます。 そんなふうに思うのは、私の遺伝子のあがきなんでしょうか。 より自分に近いコピーを残せなかった、悔しさなんでしょうか。 やはり、人は遺伝子に操られた存在であると言うこと? そこまで考えると、だんだんばかばかしく思えてくるのだけど……ね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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