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2005年09月05日
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カテゴリ:テレビ
ニュースを見てると、集中豪雨、台風、そして合衆国のハリケーン被害情報がが立て続けに流れてます。
これだけ重なるのは、季節的なものもあるんでしょう。

しかし……、たかが雨されど雨、ちょっと度が過ぎれば、膨大な被害を及ぼします。
ちょっと通常以上の量が短時間に降ってしまうだけで、たちまち川は氾濫して、まわりの家屋は床下浸水の被害を受けてしまう。
都内の集中豪雨による床下浸水のニュースは、さすがに地元だけにテレビに食い入るように見てしまいました。
普段、50センチほどしかない川の水位が、あんな短時間で5メートルになるなんて。
もちろん、大きな河川ではなくて、いわゆる街中を流れるドブ川に近いものですから、川幅はさほどないし、容易に水かさを増やすことは可能なんでしょう。
そして、集中して降る雨を吸い込むだけの土の地面が全然なくて、近隣に降った雨はすべて川に流れ込んでしまった結果なんでしょう。
まさに、都市型災害。
川は基本的に低い場所にありますから、土地の高いところからすべて流れ込むわけで、もしかしたらかなりの広範囲の場所から水が流れ込んでいたのかもしれない。
そう考えると、被害を受けた人々は、私達(かなり広い範囲の「私達」です)の受けるべき被害を一手に引き受けてしまったようにも思えてなりません。
それだけに、運がよい悪いだけで判じられないような気にもなってきます。

自然災害において、自分でない誰かが多大な被害を受けてしまうという事実に直面すると、気の毒に思う気持ちと同時に、申し訳ない気持ちにもなってしまうことがあります。
人々が避けることのできないことだからこそ、ロシアン・ルーレットのように、選択できない賭けの場に立たされるような気がしてしまう。
自分が空砲ですんだのならば、他の誰かが必ず実弾で頭を打ち抜いてしまうわけです。
その時自分が被害を受けなかった代わりに、誰かが被害を受けている、そんな風に思えてしまうこともあるのです。
そんなふうに、被害を受けた者、受けなかった者を論ずるのは変なのかもしれないけど。

災害は避けられないかもしれない。
でも、それでも、きたるべき時に備えて、できるだけのことをすべきなのも確か。

それを実感させられたのは、合衆国のハリケーン被害の状況を連日見て、ですね。
もとより、どう見ても、水害に耐えうるような地形ではない。
前々から、専門家からの危険性について警告があったのに、実際に災害が起きるまで放置されしまったらしいです。
そして、災害被害発生後の行政の対応の遅れ。
世界有数の、さまざまな方面でシステムが整っている国だと思っていただけに、驚きです。
そして、いろんなことが最悪の方向に向かった結果が、これなのかもしれません。
衛生問題、食糧問題、そして治安悪化の問題、つまり人心荒廃。
普通のおばさんが当然のごとくスーパーから商品を大量に持ち出していたり、警官が銃を発射して強奪犯を取り押さえようとしたり、……。
それ自体がショッキングな出来事なのに、その上、そういうことが平気で映像で流れているということにさらに驚いてしまいます。
旅行者は住民の標的になるので団体行動していた、とか、武装集団と警官が衝突して5人射殺、とか、まるで映画「マッドマックス」みたいな世界じゃないのとまで思えてしまう現実が、普通に語られているのだから、言葉を失ってしまいます。

かつて、阪神大震災の時、各国のメディアが治安の乱れがなかったことをこぞって賞賛していました。
当時は「それって、驚くべきことなのか」とかえって、そのニュースに驚いたわけですが、ニューオリンズの無法状態を目の当たりにして、もしかしたらこれがグローバルスタンダードなのかと考えさせられました。
もちろん、阪神大震災において犯罪が皆無だったとは思わないけど、しかし、無法状態になるような人々の社会的規範が脅かされることはありませんでした。
恐らく大半の人は物資を不法に奪うことや他者を傷つけることを考えもせずに、災害によって大きく変わってしまった生活を立て直すことに必死だったと思うのです。

たぶん、私達(これも相当広い意味での私達)は、社会を信じていたんだと思うのです。
「自分の身は自分で守らないとどうする」という意識で、生き残りを懸けて無法状態に陥ったニューオリンズの人々と違って、極限状態においても私達はきっと自分の属する社会が自分たちを守ってくれるということを潜在的に信じていたのではないのでしょうか。
「社会」、というのを「行政」と言い換えていいかもしれません。
確かにあの震災で、行政の対応に非難が集中しました。
しかし、それでも私達は「社会」を当てにしているのです。
そして、「社会」を「他者」と言い換えてもいいかもしれません。
「他人が自分を裏切らないし、傷つけない」と、お互いを信じることができた。
だから治安が維持できたのかもしれません。

社会を信じられる。
行政を信じられる。
他人を信じられる。
すべてが、昨今日本においても揺らいできているようです。
今度また、日本の大都市においてあのような震災が起きた時、どうなるのだろう。
人々はどう行動するのだろう。
他者を出し抜くことだけに汲々としないだろうか。
そういうことを考えるとちょっと恐くなります。

ニュースを見てて、いろいろ考えさせられてしまいました。





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Last updated  2005年09月06日 02時37分12秒
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