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小学校高学年のころ、クラスの課題で「ドラえもんの道具でいちばんほしいもの」を書かされたことがありました。
それをみんなで発表しあったのですが、確か1位はダントツで「どこでもドア」でした。 ドアを開けたら、ありとあらゆるところに通じているドアです。 世界中のどこでもすぐ行ける。 学校にも遅刻しないで行ける。 忘れ物してもすぐとりに行ける。 そんな理由が並んでいたと思います。 2位はタケコプター。 やはり、空を飛んでみたいという願望ですよね。 飛行機よりもじかに風を感じることができるし、自分の意思で方向を自在に変えて飛べる楽しさもあるし……、憧れるのはごもっともです。 ドラえもんのマンガでも、いちばん頻繁に出てくるのはタイムマシーンに続いてこれかもしれないです。 そして、私が選んだのは「もしもボックス」。 電話ボックスの形をした機械で、その中で「もしも……だったら」と受話器に向かって言うと、世の中がその言葉に沿って変わるというもの。 たとえば、「もしも、子供も車を運転できる世の中だったら」、その瞬間に子供も車の免許を取得できる世の中になるわけです。 「もしも、宿題のない世の中になったら」 「もしも、好きなことばかりして過ごせる世の中になったら」 「もしも、夏休みがあと10日ばかり増えたら」 そんなたわいもない願望で、これを選んだんだと思いたいのだけど、そのころはもっと違う気持ちでこれを切望してました。 ちょうど10代に入ったばかりのころです。 それまでは馬鹿がつくほど素直に生きてました。 それなのに、ちょっとずつ世の中のことをわかるようになったり、人間関係の面倒くささに直面するようになったり、親と自分の意見が合わないというようなことが徐々に増えつつあったり、……と自分をとりまく世界に対して見方が変わりつつありました。 だけど、しょせんまだ11才だか12才の子供。 いろいろ本人は考えているつもりでも、頭の中では同じことがぐるぐる回っているだけ。 自分にとって何らかの方向性を見出したり、解決策を得たりできるわけではない。 そんな無力な自分を知って、がっかりするばかりでした。 それに、そのころ私のクラスは担任の教師の体罰がひどくて、クラス全体がその恐怖に支配されていたような雰囲気がありました。 きちょうめんで神経質な面を持っていた先生でした。 その先生が、それまで面白いことを言って私たちを笑わせていたのに、ふとしたことで突然キレてしまうということが日常茶飯事だったのです。 そういう状況におかれた私たちは、その怒りがいつ自分に向けられるかわからず、いつも緊張を強いられていました。 中学生だったら、それに反抗するすべもあったのかもしれないです。 でも小学生だったから、何もできなかった。 またもや無力さにがっかりする自分がいました。 だから、そのとき感じていたのは、閉塞感。 そのころ、閉塞感なんて言葉を知らなかったけど、ひどく窮屈な思いにとらわれていた記憶はあります。 そして、小学校を卒業するまでは、自分の取り巻く環境は1ミリたりとも変わらないだろう、ということに、軽い絶望感さえありました。 だから、私は自分を取り巻く世界を変えてみたかった。 どういう風に変えたかったのかは覚えていないけど、その願望が「もしもボックス」に向けられたんだろうと思います。 それから20年以上もたってしまった今。 今の私がドラえもんの道具をもらえるなら、……? 「もしもボックス」は、いらないですね。 使い方を間違えると、すごい怖い世界を作り出してしまいそうです。 というか、ドラえもんの道具は、どんなものでもひとつあれば、使い方によっては世界征服だって可能なんだけど。 (のび太が愚か者だったから、あの程度ですんでるわけで……) 本当は、いろいろ欲しいものはあるけど、大人は欲が深くてだめですね。 とてもひとつに絞れないです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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