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テーマ:たわごと(26830)
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私は、瑣末なことに気をかけ、妄想を膨らますA型でございます。
(と、書くと、世の中のA型の方に失礼に当たるかと思いますが) すべてにおいてではないけど、神経質な部分も持ち合わせています。 なのに、どうしてか時間にすごくルーズです。 子供の頃から、時間通りに目的地に赴くことを非常に苦手としてます。 大きな遅刻はしないのですが、どうゆうわけか5分10分、長くて30分、いつも「プチ遅刻」をしてしまうのです。 小学生時代、父の転勤などで3つの小学校を経験してますが、集団登校のある学校では、集合時間に間に合わずにおいて行かれること多数。 中学時代も、校紀委員を務めているときでも、自ら遅刻の常連。 高校入学直後、クラスの遅刻第1号は私でした。 大学時代も、入学直後のはじめての授業を30分遅刻しました。 これまたクラス(語学の)の遅刻第1号。 その後4年間、大学の授業だけに、遅刻せずに行くなんて困難でした。 試験に遅れたこともあります。 出入りの時間が厳しくなかったバイトだと、自分で職場に入ろうと思う時間よりも常に30分は遅くなる。 就職活動でも、面接に遅刻して内定をとれなかったことも。 社会人になっても、遅刻こそ滅多にしないけど、始業時間ぎりぎりに職場に飛び込む日々。 80人ほどいたフロアーで、ワースト3に入ってました。 もちろん、友人との待ち合わせにも、遅刻はしょっちゅうでした。 たまに待ち合わせ時間より早く行くと、みんなに「どうしたのか?何が起きたのか?」と大騒ぎされ、とても情けない気持ちになりました。 もちろん、デートでも遅刻はしょっちゅう。 夫も、あれだけ待ちぼうけさせられたのに、よく私と結婚する気になったものです。 一緒に住んでいれば、街中で待たされることがないと思ったのでしょうか。 私の青春時代はまだ携帯電話がなくて、途中で「遅れる」コールができなくて、本当に皆様にはご迷惑をおかけしたものです。 しかし、私は学校を、友人を、彼氏を、おろそかに思って遅刻していたわけではないのです。 「今日こそは早く行く」「今日こそは遅刻しない」と思っているのに、どうしてか遅れてしまう。 いい加減な気持ちで遅刻しているわけではないのです。 「遅刻することに、何も感じてないんじゃない?」 などと口の悪い友達には言われもしましたが、とんでもない。 私の持論では、待つ側より待たせる側のほうが、よりストレスを感じているのです。 待つ人は、待ち合わせ時間を過ぎて初めて相手の遅刻に気付き、時間とともにイライラとストレスを溜めていきます。 しかし、待たせる人間は、それよりずっと前に自分が時間内に目的地に着くことができないことが予測できてます。 だから、その時点から相手を待たせてしまう申し訳なさと情けなさと、謝罪の言葉と言い訳の内容と、そしてゼロ時間が迫ってくることを知りながらもドラえもんの「どこでもドア」を所持していないので如何ともし難いことに、目的地に向かう間ずっと身悶えし胃が痛くなるような思いをするのです。 よって目的地が自宅より遠ければ遠いほど、ストレスを抱える時間が長くなるわけです。 自宅を出る時間が遅れた上に、途中で乗り換えの接続に失敗したり、道に迷ったりなんかしたら、到着時間も読めずに、もう死にそうな気分になります。 開き直っているわけじゃないけど、私は誰よりもストレスフルなのです。 (そのへんはA型?) 毎回、そういう思いをしながらも、一向に遅刻癖の直らない私。 脳みそが上手く機能していないのかもしれません。 どこかで神経回路が立ち消えしているのかもしれません。 時間観念をつかさどる箇所が欠如しているのかもしれません。 そういえば、子供の頃からうなされる悪夢は、たいてい遅刻に関する内容。 「●と○を用意して、何時までに××に行かなくちゃいけないのに、●の保管場所が見つからなくて、刻々と時間が迫っている」 なんて夢は、大人になってもよく見てます。 目覚めると、汗びっしょりです。 そして、今日も、私のせいで子供の幼稚園の登園時間はギリギリです。 やっぱりいつもワースト3に入っていると思います。 時々早く連れて行くと、先生に驚かれます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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