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カテゴリ:日々のこと
娘は、赤ん坊の頃から、成長が人よりゆっくりで、親をやきもきさせてきました。
何かができるようになるのも、同じ月齢の子供たちの間でもたいてい終わりの方でした。 ハイハイだって、歩くのだって、……。 できるようになってしまえば、何てことないことだけど、それができるようになるまでは、ある意味地獄の日々。 「この子、一生歩かないかも……」 「この子、一生、哺乳瓶生活かも……」 と、無意味に恐怖のどん底に自ら落ちていったのでした。 何せ、妄想に走りやすい性格なもので、自らの想像にどんどん追い込まれてしまうわけです。 私自身、元々あまり甲斐甲斐しいとかまめまめしいという性格じゃなかったので、子供につきっきりという状態が辛いことも多々あったわけです。 「育児楽しいよ」 と、にっこり笑う芸能人とか見て、げんなりする気分になることもしょっちゅう。 そりゃ、全く楽しくないかといえば、そんなことない。 楽しいことも多い。 でも、楽しくないことも多い。 子供が超反抗期の2歳~3歳の頃は、育児は修行の場であるという認識で行ってました。 そのくらい割り切ってないと、ストレスのあまり悶死しそうだったからです。 (ただでさえ、追い詰められていたわけだし) 今は、娘も幼稚園に通い、適度に離れて過ごす時間があるだけにかなり楽です。 彼女は早生まれの上にいまだにのんびりマイペースということで、すっかり幼稚園のクラスの中でも、「妹分」という感じですけどね。 まあ、それは子供でも人間関係においての役割分担もあるだろうから、それは自然なことだと思うんです。 そのかわり、いつまでも人が面倒見てくれると勘違いしないでほしいけど。 そんなわけで、親としては、子供が早く大きくなって人に手をかけさせない自立した人間になってほしいと、常々思ってました。 しかし、今日、何気なく膝の上に彼女を抱き上げて、ふと思ったのです。 「この子をこうして抱けるのは、あとどれくらいなんだろう?」 そう思ったら、ちょっと切なくなりました。 いつまでも自分の所有物のように小さい子供でいて欲しいなんて思うわけじゃないです。 それでいて、この先もずっと彼女の成長に、自分のこと以上にやきもきさせられるんだろうとは思うんです。 それでも、過ぎていく時間は戻らないんだなあ、と当たり前のことを実感したのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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