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テーマ:幼稚園やお家での事(1780)
カテゴリ:日々のこと
12月に入って、幼稚園ではクリスマス行事に追われてます。
キリスト教系の幼稚園なので、クリスマスは一大イベントです。 そのうちの1つが、牧師さんによる礼拝、そして子供たちによるキリスト生誕劇。 幼稚園行事とは思えないほどのまじめに厳かに執り行われます。 普段は、カジュアルな雰囲気な幼稚園なのですが、この日だけはジーンズ禁止。 ドレスコードにしたがって、お母さんたちもいつもよりはちょっとおめかしして出席します。 ホールを暗幕張って真っ暗にして、ろうそくとペンライトの光だけで行われるミサ。 (黒ミサじゃないですよ。聖夜を模しているわけです) もちろん、お話の内容は子供向きです。 でもお話を伺っていて、ふだん神の存在を意識することのない生活を送っている身ではあるけど、自分を見守ってくれる存在があるのだと信じられることは、幸福なことだということは、大人にも染み込んできます。 ちょっとおかしかったのは、お話の中での牧師さんの子供たちへの問いかけ。 「みなさんのお父さん、お母さんにとって、いちばん大切なものはなんでしょう?」 それに対して真っ先に子供たちから返ってきた答え。 「お金!」 (それもいちどに複数の声) 「仕事!」 聞いていた私たちは、がっくり。 そこで牧師さん、にこやかに言います。 「あなたがたのお父さんお母さんにとって、いちばん大切なのはあなたたちなんですよ」 親たちは当然だ、という顔でうなづく。 意外なのは子供たちの反応。 「ええ――――っ!!」 「うそ~~~」 なんで、そこで驚くんだか。 君たちは親に愛されているという実感がないのかいっ!と突っ込みをいれたいところです。 やっぱり、「親の心、子知らず」とは言ったものです。 そして、生誕劇。 言わずと知れたキリスト誕生を祝う劇。 幼稚園児による劇とは思えないほど、くそまじめに行われます。 堅苦しい聖書の言葉そのままのセリフを園児だけで演じます。 歌も入るのでミュージカル仕立てです。 子供たちは自分の失敗が全体の失敗に繋がることがわかっているので、非常に真剣な面持ちで舞台に立ちます。 親たちも子供らが必死にセリフを覚えて練習してきたのを知っているので、これまた観客席で固唾を呑んで見守っています。 薄暗いホール全体が緊張感にみなぎってます。 咳ひとつするにも、気を遣います。 そんな中で、羊飼い役のうちの娘はやってくれました。 ちょっと長めのセリフを度忘れ。 そのまま無表情なまま棒立ちになりました。 (練習では、上手くやってたのに~) ど、ど、ど、どうする娘!と、こっちまで動揺。 そこで見かねた先生がさわりの部分を囁いてくれて、どうにか彼女はセリフを思い出し、劇は続行。 たぶん、同時にホール全体に安堵のため息が漏れた模様。 そして娘はセリフを言い終えたときに、すばやく涙をぬぐったのです。 母としては、舞台で泣き出して劇がおじゃんにならなくてよかったと、とりあえずホッとしたのも事実。 でも、彼女が泣き出したいぐらいのパニックに陥っていたことに、やっぱり胸が締め付けられました。 同時に、どうにかその場をしのげた彼女の成長にも驚き、感慨に浸ったのでした。 そのあとも彼女も他の子も、セリフを何事もなくこなし、生誕劇は無事に終了。 後で、いろんなお母さんに、 「○○ちゃん(娘)、よかったね~」 「泣かなくて偉かったよね」 「うちの子だったら、絶対に持ち直せないと思うよ」 「涙をぬぐっているのも見て、こっちも泣きそうになったよ」 などと声掛けられました。 「○○ちゃんにいちばん感動したよ」 などとまで言われて、母はちょっと複雑。 セリフをきちんと言えたあなたがたのお子さんの方がエライのでは?と、思うのですが……。 うちの娘は、入園当時はほんと赤ちゃん赤ちゃんしていて、それだけに周りのお母さんたちにはこの2年半ほどの間の成長は著しいものに思えるようです。 結局のところ、一生懸命にセリフを間違わずにがんばった子より、目立つ結果となったわけで。 なんだかいろんな意味で申し訳ないような……。 後から先生からも 「○○ちゃんは、見た目と違って、ほんとシンは強いですよね」 とのお言葉が。 「そ、そうですね」 母は苦笑いするのみ。 ま、とにかく生誕劇が終わって、子供と共に母も緊張の糸が切れ、どっと疲労感が押し寄せたのでした。 お友達とランチして帰宅したすぐに、ふたりでぐっすり昼寝しました。 起きたら夜の8時半。 あわてて食事の準備をした次第です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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