林芙美子 「放浪記」
先日、きたあかりさんのブログで、桐野夏生「ナニカアル」が取り上げられていました。
その本自体にも興味を持ったのですが、モデルになった林芙美子の小説を読みたくなりました。
で、未読である、彼女の出世作で代表作である「放浪記」を手に取った次第です。
「放浪記」
昭和初期の文学志望の若い女性のその日暮らしを描いた自叙伝的小説です。
様様な仕事(女中、事務員、カフェの女給……)を転々としながら、幾度も恋愛に敗れながらも、いつか文学で世に出ることを夢見ているというか、狙っていると言った方がイメージに合うような、そんなたくましい女性のどん底な日々が赤裸々に日記風に描かれています。
昭和初期の痛い青春物語だけど、回りまわって平成の不景気&格差拡大時代にとてもマッチしていることに驚きます。
社会の底辺を這いずり回りながら、安易な方向へ流されそうになりながらもそれに抗い、放浪することで自我を維持する女性の姿に、不思議な共感を覚えます。
他人に対して不実な部分もあったり、両親に対する愛情は深いながらも親不孝を重ねたり、そんな正直さも悪くないと思えます。
昨今、小林多喜二の「蟹工船」がリバイバルヒットしてましたが、こちらの方がより「今」的かもしれません。
まさに、描かれているのがフリーター生活を送るネットカフェ難民的な女の子です。
だいぶ前に、彼女の「浮雲」を読んで、「この人は才能はすばらしいが、嫌な人かも」なんて、勝手な感想を抱いたことがありました。
「放浪記」も、たぶんバブルのころなんかに読んでいたら、主人公しぶとさに辟易したかもしれません。
きっと、本には読むのにふさわしい「時」があるのかもしれません。
文章は、解説を読んでから想像力で補わないと理解できないくらい不親切です。
「もう少し説明してくれ」とも思ったりします。
それが日記風文学のリアルを感じさせるともいえるのですが。
また、断片的な内容でありながら、それでも人に向けた文章になっていることから、現代のブログ的要素もあるかもしれません。