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カテゴリ:幼かった頃
戦時下、父が出征し、私たち母子は東京を去って、
母の実家に疎開していた。 お婆ちゃんの家は、広く、子供達は、2階の倉庫になっている ひろい部屋で時々遊んだ。そこには、梅干し用の樽がたくさん おいてあって、空っぽの樽に入ってかくれんぼをしたりした。 樽のなかには、まだ、梅干しが残っているのもあった。何十年経った 物か知らないが、それは、全部、かりかりに固まって塩が吹いていた。 遠くから、薬として、もらいに来る人もいた。まだ、お爺ちゃんが 生きていたころ作った物だから、当時わたしが3才だったとしても、もう、 かれこれ、30年以上は、ゆうに越えた梅干しだった。遊びながら、 時々塩で固まった梅を食べた。薬の様な味がした。 その他に、一度ものぞいたことがない2階があった。 なぜ、行けなかったかと言うと、そこには、階段がなかった。 外からも、そんな部屋があるということは、ぜんぜん分からない 部屋の作りになっていた。ナチの目をくぐって暮らす、ユダヤ人の隠れ家に ちょうどいいといったものだ。そこは、昔、お上の目を盗んで、 こっそり酒を造る為の部屋だったそうだ。はしごを掛けて登ったら、 すぐにはずして、2階の部屋は、隠すようになっていたのだ。 母の昔話しでは、(大正時代だが、)母の姉と、兄が 大げんかをした次ぎの日から 、姉の大切なお琴が消えた。 いったいどこにあるのか、だれも長くみつけることが出来なかった。 兄は、隠し部屋にこっそり 隠して知らん顔をしていたのだ。が、ある日、 また、そっと出してあったと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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