私の実家の
母も、兄も亡くなってからは、
義姉には、年賀状を出したことが無いと思っていたが
知らないうちに夫が私に変わって、毎年出していたらしい。
我が家は去年は夫の兄が亡くなって
年賀状を出すのは失礼したが、
義姉へのハガキに
「2010年は母が亡くなってちょうど10年になりますね。
早いものです。」と、
私自身が初めてちょこっと書いた。
その時、突然
何故か義姉に対して、親しい気持ちが私のこころをよぎる。
そして、10年間、忘れようとしていた頑なな心の禁がふと溶けた。
「ああ、義姉は、あのころ
私や、母に、ものすごく意地悪をしたことを
自覚しているのだろうか?」と、とめどもなく思う。
母と兄のお葬式が終わったら、これで、
義姉とのお付き合いは終わりにしようと決心し
その後のどんな法事にも行かなかった私だ。
もう、義姉には、一生涯、会わないつもりだった。
幸い、義姉の家に行くには遠距離すぎて、
なかなかおいそれと出かけられないところで
私は、救われた。
もう、あれから10年になるのか...もう、そろそろ
こんな苦しい気持ちを卒業しなくちゃ!と思う。
「どんな人をも愛して行こう」などと、
悟りきった僧侶みたいにブログには書いてるくせに。
なかなか義姉に対して、この一線を越えられない気分だった。
でも、今後、もし会うことがあったら、
きっと、にこにこしながら接してみようと
脳の中で考え始めてはいる。
そうしたら、驚いた事に彼女からハガキがきた。
そして、
「年々、私の周りも、さびしくなりました。
生きると言うことが、こんなに大変になって来るとは
思いませんでした。なさけないことですが。」
という一文が添えられていた。
たったそれだけだが、その言葉にひどく驚かされた。
彼女が弱みを見せたのだ。この私に。
信じられないことだ。
すると、不思議に、拒否反応でなく、
私は悲しい気分になった。
その短い言葉は、私の胸に
冬空のような寂しさをもたらすには充分だった。
義姉には、いつまでもいばっていてほしかった気がする
義姉には、いつまでも、つっけんどんに、
えらそうにしていてもらいたかったきがする。
義姉には、私を見てもプイッ!として、
ふんっ!という顔の強い女でいてほしかった気がした。。
そんな正反対の気分が湧いているのは、何故なのか?
わからない...
彼女は
若いころは、あんな女性ではなかった。
楽しい愉快なアネゴ肌という女だった
性格に似合わず、楕円形の大きなうっとりする瞳で、
口元は小さい美形だった。
甲状腺の病気になったころから、体が大きく太り
意地の悪い女に変貌していったような気がする。
本当は、気の毒なんだけど。