坂の上の雲
司馬遼太郎原作「坂の上の雲」が、スペシャル大河ドラマとして平成21年から3年間にわたってNHKで放送されることになった。この作品は、司馬さんが生前にはドラマ化を拒否しつづけていたが、著作権を相続された夫人の許可がおりて現在ロケが敢行されている。この本を読めば分かるのだが全編にわたり反戦の精神で貫かれている。しかし演出如何によっては戦争讃美になる事を司馬さんは恐れたのであろう。『坂の上の雲』のあとがきにはその日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。最終的には、このつまり百姓国家がもったこっけいなほどに楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の一つと対決し、どのようにふるまったかをということを書きたいとおもっている。楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。江戸から明治という歴史は、永く続いた封建社会が崩れ、幕藩体制から開放された国民が、身分を越えて「日本人」として、ひとつの夢や感動を共有しはじめた時代である。全く新しい未知の国家を作り出した若者達。私利私欲ではなく公のために生き、そして死んでいった、たくさんの若者達。欧米的近代国家に憧れ、坂の上に見える雲を目指して、ただひたすらにかけ昇った若者達。私はこのタイトルの意味を知ったとき、全身にカミナリを打たれたような強い衝撃を覚えた。司馬さんがこの物語を書くに至ったきっかけは司馬さん自身が参加した太平洋戦争だったと書いていた。「敗戦の日 なんとばかな国に生まれたのだろう、明治やそれ以前はこんな風な国ではなかったのではないか」と思ったという。この作品は司馬さんが40代のとき10年という歳月をかけて書き上げた壮大な物語なのだ。主役である松山出身の秋山好古、秋山真之兄弟と正岡子規たちを中心とした、明治という時代に立ち向い未来を切り開いていった青春群像を司馬史感独特の文体で描かれている。後編からは日露戦争の描写が中心となるが、私は東郷平八郎と共に日露戦争の英雄とされた乃木希典大将のことをNHKはどのように描くのかも楽しみにしている。なぜなら司馬さんは「旅順攻撃における乃木軍の作戦首脳者が、第一軍以下に比べて恐るべき無能を発揮した(中略)高級軍人の場合は有能であることが絶対の条件であるべきであった。彼等はその作戦能力において国家と民族の安危を背負っており、現実の戦闘に於いては無能であるがためにその麾下の兵士達を凄まじい惨禍へ追い込むことになるのである」 と、203高地において半年で6万人以上死傷兵をだした乃木大将のことを無能・愚将としているからなのだ。「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」大本営への打電で始まる日本海海戦。丁字戦法を実践してロシアバルチック艦隊を全滅させた海軍大将東郷平八郎。あまり戦争の内容のことを書くと司馬さんが戦争賛美と心配されるといけないが、「明治人的なリゴリズムのような気骨や情熱を持って」と現代に生きる私たちに語りかけているのではないだろうか。「人間は素晴らしいものなんだよ 私も 歴史の中に生きている」「これからはどんなに小さなことでも何か一つ社会に役立つことをしていこう」 これが私の『坂の上の雲』なのです。来年の秋から放送が始まる、「坂の上の雲」を本当に楽しみにしている。安西節雄