雪の思い出
子供のころ朝起きて雪が積もっていると、雪ダルマを作ったり、雪合戦をしたりかなり燥いでいたものでした。父が鉄道員でしたので、大雪の時にはホームの上の雪かきを手伝ったこともあります。鉄道官舎の向こう側には雄大な駒ケ岳が連なり、馬の背に雪をかぶる頃には、だるま電車(ストーブ列車)が走るようになり、車掌さんがデレッキで石炭をかき回しに来てくれていました。子供心にデレッキを持ちたかったのです。朝いちばんには駒ケ岳をバックに、ラッセル蒸気機関車が勢いよく黒い煙を吐き出しながら、レールの上の雪を弾き飛ばし、雪煙を後方に振り撒く力強さに見とれていたものです。跡には二本のレールがくっきりと浮かんでいました。http://www.youtube.com/watch?v=MkBbxK6R5Ro&feature=related私は小学生から高校生まで汽車通学をしていました。6年生の時、学校の授業を受けていると大雪で汽車が止まってしまい、汽車通学生は先生の付き添いで歩いて帰ることになりました。大沼駅から銚子口駅(現在は無人駅です)までの3駅間なのですが北海道の一駅はかなり長いのです。私は高学年でしたので、弟の手を引きながら6年生を中心に10名前後生徒を引率していました。1・2年生のはるか上まで雪が積もっていて、新雪の上では長靴がすっぽり埋まってしまい、一歩を踏み出すのも思うようになりませんでした。当時のゴム長靴は上が開いていたのです。引率の先生も大変だったことでしょう。おんぶをねだる子供もいたと思います。泣いてる子もいたと思います。耳当て帽子をどこかに置き忘れ、凍傷になる恐れもありました。どこからともなくシャンシャンシャンの音を奏でながら一頭の馬そりが現れ、私たち全員を載せてくれました。いまだになぜ現れたのかわかりません。いつも学校から駅までの距離に馬そりが通ると勝手に飛び乗ったものです。叔父さんも何も言いませんでした。中学生のころは自転車通学になりましたが雨や冬の季節は汽車通学をしていました。汽車は1時間から2時間間隔でしか運行されておらず、乗り遅れると歩いて帰っていました。冬には大沼が氷、近道なので大沼の氷上を歩いて渡っていたものです。雪の魅力は何と言っても音が消えることです。沼の上を歩いていてもまったく音がしません。足元のキュッ キュッという音だけが生きている証なのです。サングラスなんてなかったころ、白一色の銀世界があたり一面にキラキラ光っていました。蒸気機関車からディーゼル車に変わったのは函館の高校へ通い始めたころでしょうか。http://www.youtube.com/watch?v=UlSgrPDPlG4&feature=related車窓から田園風景が一面に広がり、冬にはリンゴ畑がところどころに雪から顔をだし、枯れたわけでもなく、衰退したわけでもなく、実った後の一休み。春の準備をしています。クラブ活動を終えて夜7時の最終電車に飛び乗り窓の外を眺めていると、市内を過ぎれば明かりはほとんどなくなり自分の顔が鏡を見ているように映し出されていました。今年は北国では豪雪に見舞われています。東京は連日のカラッカラ晴天が続いています。温暖化と言いながら世界各地から豪雪ニュースが流れてきています。連日 冬将軍(見たことないけど)到来と「雪」のニュースに、こんな昔の子供時代のことを思い出していました。 安西 節雄