いよっ!! 師匠~!!
先月末の日曜日 平成浅草中村座に行ってきました。小さな小屋って良いですねぇ。歌舞伎の醍醐味が伝わってきました。戦前の歌舞伎ってこんな感じだったのでは…と思う事ができる小屋でした。ここの所、埼玉スーパーアリーナだとか京セラドームとか大きな会場でのライブに通っている私。歌舞伎座とも国立劇場での歌舞伎とも また違った味わいを経験できました。後輩の尽力で椅子席真正面2列目という良い席。私たちの前には座布団席もあり、小さな小屋だからか、着物姿の観客もたくさんいました。そうそう お大尽席 という お高い席もありました。昼の部 演目は 一 歌舞伎十八番 暫 二 一條大蔵譚 三 舞鶴雪月花六代目中村勘九郎襲名興行として なかなかな演目でした。一條大蔵卿は中村屋の血に流れるDNAを感じました。考えたら私、亡くなった先代の大蔵卿も今の勘三郎のも見ているので、三代続いて見ることができたわけで、それはそれで私的には、嬉しい事でした。さて、やっと師匠話し。本来だと「中村屋~!!」と声をかけなければならないのですが、私は小さな声で「師匠~!!」と叫んでいました。師匠とは、中村小山三丈のことです。彼は、先代勘三郎丈の一番弟子。確か7歳だか8歳だかで弟子入りしています。先代が元気だったころ「あたしが死んだら棺桶に小山三を入れとくれ」と言ったとか。今の中村屋でも存在感を発揮しています。私は、かれこれ40年ほど前に明治大学歌舞伎研究会の部員として お目にかかりました。文化祭に大学の講堂(記念館)で学生が実際に歌舞伎を演じていたのですが、その際、演技指導して頂いていました。どういう関係で明大歌舞研に来て下さっていたのか、私は知りません。でも、夏の暑い時期から秋の公演まで毎日のように稽古に通ってきてくれました。ちなみに、角田は4年間のうち1年は 当日の受付2年は 「菅原伝授手習鑑」という演目で{園生の前}という役で出演3年は 小道具係4年は 黒子楽しい4年間でした。私は商学部商学科卒ではなく、歌舞研部神宮科(歌舞伎と野球三昧でした)卒だと思っています。さて平成中村座に話を戻します。お土産屋さんに 師匠のグッズが沢山売っていました。幹部でなく三階さん ≪歌舞伎のお弟子さんたち(血筋以外の人)の事で、前の歌舞伎座(現在 新しい歌舞伎座が 建設中です)の楽屋の一階と二階が幹部のもので三階に師匠のようなお弟子さん達の楽屋があったからだと聞いています≫ のグッズが売っているなんてことは、とっても珍しい事です。師匠もはや93歳(数え) どうも{長寿のお守り}としての需要のようです。グッズが売れる理由が分かります。だって元気です。仕事を続けているから…あるいは役者として観客の注目を浴びているから…か?芝居が、はけた後 楽屋口で師匠に久しぶりに会いましたが、私より30歳以上上には思えません。おまけに 3月は 話の筋から言っても重要な役を演じていましたし、孫のような勘太郎ちゃんの六代目勘九郎襲名。張り切っているのが伝わってきました。聞きませんでしたが、師匠 多分 今回襲名した六代目勘九郎丈の赤ちゃんの初舞台,絶対にやる気です。これからも、元気に長生きしてグッズが売れ続けてほしいです。お土産に 師匠の顔写真でラッピングされたチョコレートを頂いたのですが、もったいなくて、まだ食べることができません。笑えたのが、パンフレットの写真。若い頃の写真を そのまま使う歌舞伎役者は多いのですが、師匠…やりすぎ…だって、40年前に使用していた写真と同じ(だと思われる)ものを未だに掲載。どう考えても、私が初めてお目にかかった50歳代より若い写真。思わず {詐欺}の一言を思い出してしまいました。主人が元気だった頃「お父さんは お母さんに 詐欺にあったんだよ」と幼い娘に教育していました。確かに!! と思いましたが…去年 県連マンスリーに登録時の事を書いたので 登録時の写真を掲載して貰ったら何人にも「誰かと思った」と言われた 詐欺師 角田千鶴子ですので 師匠の事は言えませんが…とにかく楽しい一日を過ごして確定申告期の疲れを癒せた角田千鶴子でした。