常識の非常識
最近気になることがいくつかある。 1.公共施設のトイレのサンダルの向き。どこに行ってもトイレ用のサンダルがばらばらに散らかっていることが多い。 どれとどれがセットなのかわからないような場合もある。 次の人が使い易いように揃えて並べて置くということを教わらないのだろうか。 昔、小学校などでサンダルを並べる位置を床に絵に描いたりしてあったこともあったなと思い出す。 2. 私はマンション族なのですが、エレベーターなどで居住者と会った時など必ず声掛け又は最低でも会釈くらいはするように心掛けている。 しかし最近では子供のみならず大人でも無言で乗って無言で去っていく人の何と多いこと。 大人でさえも挨拶の一つもできないのだからその子供も然りだなあと嘆くのみ。 たまに大きな声で挨拶をしてくる子供に出会うと思わず笑みが出て持っている果物やお菓子をあげたくなる。 話せばきりがない。何が原因かわからないが、現在は我々が当たり前と思っていることが当たり前でなくなってきている。 今の日本は常識、節度、礼儀、道徳といったものが軽んじられているように思えて仕方がない。 我々が小学生の時は道徳の授業があったが今もあるのだろうか。小さいうちに礼儀や道徳などをもっと時間をかけて教えるべきではないだろうか。 愚痴ばかりではなく、身近にあった微笑ましい光景を紹介しよう。 税理士会の宴会の時、ある大先生がトイレから戻り、部屋に入るため靴を無造作に脱いだ。 たまたま後ろからやってきた若?先生はそれを見て無言で素早くその靴を揃えて置き直した。 その光景を見たときは、ああ大したものだ親の顔が見てみたいと感心した。 こういう人ばかりなら税理士会の将来は明るいのだが。 萩原博之