「牛にひかれて善光寺参り」
長野 善光寺に行ってきました 朝 8時には 到着 まだ 観光客も 多くなく ゆっくり 参拝することができた。 善光寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺院で、全ての人々を受け入れるお寺として、その存在を知られている。 現在は天台宗(大勧進)と浄土宗(大本願)の両派によって 護持運営されている。 この二寺院の住職が善光寺住職も兼ねています。 長野駅方面から まっすぐ 来ると 1918年建立。善光寺参りの入口となるのがこの仁王門です。仁王には仏敵からお寺を守る役割があります。 高村光雲・米原雲海によって制作され、仁王像は絶妙なバランスで、支えを用いずその足で自立している。とても大きく 迫力満点。 口を開けている阿形【あぎょう】像 口を閉じている吽形【うんぎょう】像 背面には三宝荒神【さんぽうこうじん】、三面大黒天【さんめんだいこくてん】がいる。 山門 1750年建立。善光寺本堂正面にある大きな門ですこの門には有名な鳩字の額がかかっている。鳩字の由来は、額に書かれた「善光寺」の文字の中に五羽の鳩が隠されているためだ。 私は すぐに 五羽の鳩を 見つけることができました 山門の内部は公開されていて その階段がほぼ直角 上りはよかったが 下りは 危険が伴う。 南側にある窓から参道などを眺めることができる。15メートルほどの高さにある回廊に出て北側に回ると、本堂側の景色も見ることができる。山門 から参道の景色を見ることができる。現在の 本堂は 1707年建立。国宝に指定される木造建築としては4番目の大きさ。善光寺の ご本尊は「一光三尊阿弥陀如来」でインドから朝鮮半島百済国へと渡り、欽明天皇十三年(552)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれている。 阿弥陀如来像は特に「善光寺式阿弥陀如来像」とも呼ばれ、善光寺のご本尊様は絶対秘仏となり、残念ながらその 姿を見ることはできない。 2022年は7年に一度の御開帳の年であった。 御開帳で私たちが目にすることができるのは、鎌倉時代に造られた前立本尊で。 本尊を模して造られたいわばレプリカのようなもので、本当に同じお姿なのかどうかを確かめることはできない。 善光寺のご本尊が安置されている瑠璃檀と三卿の間の床下に部屋があり、その部屋をロの字型にめぐる暗黒の回廊(約45メートル)がある。 いわゆる お戒壇めぐり お戒壇めぐりをすることで、極楽浄土が約束されると言われている。 瑠璃檀下の真っ暗な回廊をめぐる。深暗の世界で同居人と手を結ぶのは何年ぶりだろうか、ご本尊の下にかかる極楽の錠前に触れて、ご本尊と結縁を果たすための道場であるとされている。 回廊の中は本当に真っ暗で 正直 怖かった。 私の 極楽浄土は約束されただろうか・・・・ 輪蔵1759年建立。中には八角の輪蔵【りんぞう】があり、その中には全てのお経を網羅した一切経が収められている。 輪蔵は元来、経典を収める書庫で、腕木がついており、これを押し回すことで、中の総ての経典を読むことと同じ功徳を得るといわれている。 重要文化財としては珍しく、参拝者が この輪蔵を回すことができる。 これが なかなか 重いのだ、 よく見たら 他の人は ただ腕木に手を添えているだけなのだ、 みんな 押してくれよ・・・・ 大勧進(天台宗) 山門の手前に 天台宗の お寺があり 大本願(浄土宗) 仁王門の手前に 浄土宗の お寺があるこの二寺院の住職が善光寺住職も兼ねている 善光寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺院として知られていて 開祖がいないのである。 最澄は 唐に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて日本における天台宗を開いた。 法然は 比叡山延暦寺で天台宗の教学を学び、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。 善光寺の ご本尊は「一光三尊阿弥陀如来」で、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれている。 「一生に一度は善光寺詣り」 極楽往生が叶うといわれているありがたいお寺なのです。 安西節雄