連続テレビ小説『おかえりモネ』第99回
内容ある日、漁協組合の太田(菅原大吉)が、“はまらいん”を訪ねてくる。太田は、アワビの解禁日についての注意をラジオで話して、帰って行く。敬称略アバンで。。。“きれい事”と言われ、なんだか、開き直っている主人公を混ぜ込んできた今作。OP開けにしても、なんだか、開き直っている感じだし。そもそも、その後の展開も、無茶苦茶で。龍己からアドバイスされ、強引に“天気”に繋げている。まぁ、今作は、基本的に、展開が無茶苦茶だし、“ドラマ”だから。。。。ってのもあるから、ある程度は、無視するが。これ、前述の亮からの指摘や、先日の強引にラジオの仕事を奪ったことにも繋がるけど。主人公が“何か”をしているような描写にしているが。実際は、違うよね?“本社”の人や、社長。そして、テレビ局の同僚たちを、無茶苦茶な説明で、言いくるめてまで、故郷に帰ってきたんだから。本来、主人公がやるべきは、“故郷のためにやること”“気象予報士として出来ること”を、自分で調べて、自分で行動すべきコトじゃ無いのか?例えば、ラジオの仕事にしても。元々、“いなくても出来ていたこと”であり。ある意味、技術の結晶である“AI”を利用している時点で、主人公程度の経験しか無い天気予報を。。。。。。。たしかに、社長プレゼンで、いろいろな“可能性”について言及していたけど。じゃ、そういう“可能性”を模索する行動を、すべきじゃ無いのか?今作は、“みんなが主人公に仕事を持ってくる”。。。ばかりで。かなり好意的に見れば、“主人公は仕事をしている”と言えなくもないが。でも、重要なのは、“そんなこと”では無いよね?重要なのは、“主人公の思い”では無いのだろうか?今作の表現は、基本的に主人公の受動的な態度ばかりで。それでは、仕事を押しつけられている印象にもなるし。それこそ、仕事が無い主人公がかわいそうなので、周りが。。。って。そんな感じにも見えてしまう。これのどこの部分が。。。“津々浦々”と語っていた“思い”に繋がるのかな?自ら動こうとしない限り、“逃げた”という業は背負ったままじゃないのか?そう。何かを描いても、所詮。。。今回も“きれい事”じゃ?まぁ、それにね。こういう言い方は、アレなんだが。そもそも。ちょっとテレビに出ていた程度の若い女の子に、みんなが親しく。。。っていう描写こそが、違和感だよ(笑)ほんと、どこのお姫様だよ。。。。何も無いのに、そういう“看板”だけで、チヤホヤされて。あまり言いたくないが。亮たちって、それぞれが、紆余曲折があったとしても少なくとも5年は、“何か”をしていたんだよね。でも、主人公。。。2年程度で、祖父の紹介の仕事を辞めて。自分の道を見つけたと言えば、聞こえは良いが。“また”。。。2、3年程度で、仕事を辞めて。5年との経験の差は、大きすぎると思うのだ。当然、そこにある“思い”も含めて。根本的に、そういう部分からも、今作は、間違ってるんだよね。だからこそ、自分で動かなきゃ。。。。ある意味。ヘッドハンティングされた莉子とは、意味合いが全く違う。。。。のが主人公。じゃ。。。主人公のやるべきコトは、今のようなことじゃないだろうに。TBは以下のミラーへお願いしますhttp://maxexp999.blog100.fc2.com/blog-entry-6886.html