連続テレビ小説『らんまん』第125回
内容地震発生から1ヶ月。寿恵子(浜辺美波)の店のある渋谷は、多くの人にあふれていた。そんななか相島(森岡龍)が訪ねてくる。そして寿恵子は、万太郎(神木隆之介)と話し合って。。。敬称略作、長田育恵さんう=~~~Nn,....また。。。まただ。。。。今作は、どうしても“時勢”を描きたいようだ。そもそも、今作は、“歴史ドラマ”や、“歴史番組”では無い。ましてや、NHKが毎年のように作っている“震災ドラマ”では無いのである。。そう。そこまでの詳細な説明は、不必要で。むしろ、邪魔なのだ。雰囲気を壊すことも多いし。描きたい気持ちも分かるが。そういうことを描くならば、長屋はどうなった?とか。渋谷での暮らしは?とか。今現在の万太郎は、何をしているのか?1ヶ月で、何をしようと決意したのか?とか。そういう“コト”を描くことが、本来“ドラマ”が描くべきコトだ。なのに、なぜか。。。そのうえ、万太郎と寿恵子のイチャイチャ描写。例えば、今回のイチャイチャ直前の語り合いで、違和感を覚えなかっただろうか?そらね。描こうとしていること自体は、何も間違っていない。じゃ。じゃあ。。。である。初めての子が。。。。。の後は???とか。色々あったけど、唐突に田邊が。。。。の後は???とか。それこそ、祖母が。。。峰屋が。。。。とか。。。。大きな出来事を、今作は、有り得ないほど混ぜている。でも、今作は、何事も無かったかのように、次の話を描いてきたのだ。なのに、今回だけは。。。。??これでは、万太郎のコトは描写出来ていないし。それこそ、寿恵子のコトも描写出来ているとは言えない。だって、それが“連ドラ”というモノだからだ。まぁ、今作は、連続性と一貫性を感じにくい“連ドラ風ドラマ”なので。あとは、視聴者任せなのかもしれませんが。何度も書くようだが。“ドラマ”は、描いているコトが“全て”であって。視聴者の脳内補完は、“ドラマ”ではありません。あまり、褒められた手法では無いけど。いっそのこと。寿恵子に“時間”が無くて、“最後”または“最期”をセリフも含めて強調すれば、今回だけ。。。。。っていうのが、無視出来たんですけどね。褒められた手法では無く。完全に奥の手だけど。でもね。それくらいの“コト”をやらなければ、違和感垂れ流しになることを、もうちょっと、冷静に判断して欲しかったモノだ。もしかしたら。。。“土曜版”では、ナレーションで補強するのかもしれませんが。。。。。。。。。。。これ、、、きっと、やって来たつもりなんだよね。。。。きっと。。。(苦笑)う~~~ん。。。。。。もう、終わりだというのに。。。。これかぁ。。。。TBは以下のミラーへお願いしますhttp://maxexp999.blog100.fc2.com/blog-entry-8276.html