4月29日(佐野フェンス激突事件)
陽川 無観客でも“ゴリラポーズ”継続宣言開幕へ準備万端 フリーでサク越え6発 阪神の陽川尚将内野手(28)が25日、球場に駆けつけられない虎党へ唯一無二の“ゴリラ弾”を届ける気概を示した。甲子園施設内で約2時間半の自主練習後にオンライン取材に対応。無観客開催の場合でも、おなじみの“ゴリラポーズ”の継続を宣言した。今春キャンプからの実戦ではチーム最多の4本塁打を誇り、開幕が待ち遠しい。 無人のスタンドに描く放物線をイメージしながら、陽川は“開幕後”に思いをはせた。自分なりの表現方法でファンの心を揺さぶりたい――。一層、言葉に力を込めた。 「開幕した時、どういう形で開幕するか分からないですけど、もし無観客であれば、テレビ越しで見てる人がいっぱいいると思うので、そういったパフォーマンスは続けていきたいなとは思います」。 一昨年から本塁打を放った際に、ベンチ前でチームメートと胸を叩く「ゴリラポーズ」が定着し、昨年は矢野監督とも“競演”した。現状では新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、6月以降に想定される開幕は無観客での実施が濃厚。仮にアーチをかけても聖地に歓声が響くことはないが、おなじみとなった“儀式”は継続し、球場に足を運べない虎党に喜びと興奮を届けるつもりだ。 誰よりも球春到来を待ち望んでいた。キャンプ終盤から状態を上げ、今春実戦ではチーム最多の4本塁打。期待されてきた長打力を発揮し、7年目にして初の開幕1軍を手中に収めていただけに「良い形で打ててた部分は多かったので、(3月20日に)開幕して欲しかったっていう気持ちはある」と本音も漏らした。 飛躍を「予感」のままで終わらせるわけにはいかない。約3週間の活動休止期間では「コースなりの自分のスイングだったりをイメージして」と素振りに時間を割き、映像では打率1割台に沈んだ昨年と今春を比較。打席に立てない状態でも、チェックポイントを体にすり込んだ。 自主練習の屋外フリー打撃ではサク越え6本を記録し、左翼スタンド中段に運ぶ特大アーチも披露。開幕延期で生まれた時間を、いまは進化への猶予期間だとプラスに捉えた。 「もうひとランクレベルアップできるような練習をして、モチベーション高く持って。確実性だったりとか、一発で仕留められるところは上げていきたい。開幕した時には、今持ってる力をしっかりファンに喜んでもらえるパフォーマンスができるようにやっていきたいと思う」。聖地のスタンド、虎の心めがけて白球を運ぶ。スポニチ(4/26)4月29日我々 昭和の人間にとっては「天皇誕生日」その後は 「みどりの日」「昭和の日」としてGWの始まり的な 祝日 ですが...陽川 プロ初アーチ2016年4月29日 甲子園でのDeNA戦0-1 で迎えた5回裏 無死1塁今永のチェンジアップをひっぱたいた打球はバックスクリーン左に突き刺さり 逆転弾これが 陽川尚将のプロ初ホームランルーキーの年の春の安芸二軍キャンプで掛布SDからよかわ? ようかわ?と からかわれていたのが陽川との出会い待望久しい 和製大砲候補の一人はやく 「候補」を取ってほしいものです本人の力と結果で!!福留 NPB通算200号2014年にはその前年からタイガースに入団したドメさんの 200本目のホームランが飛び出した日ですがもっともっと昔球界に 大きな衝撃と改革を与えた出来ごとがあった 4月29日です1977年4月29日川崎球場7-6と リードで迎えた9回裏一死1塁の場面でレフト佐野は打球を追い外野フェンスへダイビング飛び込んだ勢いのままに 頭からフェンスに激突した センター池辺巌は佐野の様子が尋常ではないと判断しインプレー中にも関わらず ベンチに向かって手招きを繰り返した この時 大洋の一塁走者がタッチアップそれでも 池辺は「野球どころではない」と佐野に寄り添っていた佐野は 白目をむいたまま口から血の泡を吹いて痙攣していたそれでも ボールは離さず握りしめていた執念 この後、救急車がグラウンド内まで入り搬送されたそうだがグランドに救急車 という衝撃的なシチュエーションたぶん プロ野球史上初めてじゃないかな... 初代 虎のセンちゃんこと 佐野仙好は 1974年3塁手が固定できていなかったタイガースに期待の大型新人として 中央大学から前秋のドラフトで1位指名を受け入団明るい未来が 待っているはずだったしかし 2年後の 1976年の開幕戦サードのスタメンに名を連ねていたのは同じドラフトで テスト生からドラフト6位入団無名の高校生 掛布雅之だった熾烈なポジション争いに敗れコンバートされた外野で掴んだレフトのレギュラーの座絶対に離すモノか!!佐野と言えばあの3連発の後にショートゴロを打った男として 一部のファンの間でオチに使われてるが www1981年に制定された 初代勝利打点王に象徴されるようにたぐいまれな勝負強さ!!(合わせて ゲッツーも多かったのはご愛嬌)おそらくこれは一度は 失いかけた命中途半端ではなく 思い切って行こう!!という 心意気だったに違いない1989年 現役を引退引退会見で残した言葉はあいつのおかげでここまでやれたあいつに負けたくないという気持ちがあったから必死になれたあいつのおかげあいつとは もちろん 掛布雅之のことタイガースファンの誰もが歓喜の涙を流した1985年10月15日 神宮球場優勝を決定づける同点の犠牲フライを打ったのはほかならぬ 佐野仙好!!(犠牲フライってところが またセンちゃんらしくていい...)そしてこの夜 神宮の夜空に舞ったのは佐野と掛布の熾烈なレギュラー争いを見守り佐野が大ケガを負ったあの試合も監督として采配を振るいそして 大洋のランナーの生還について審判団に血相を変えて抗議した吉田義男であることにまた感動あの 川崎でのフェンス激突事件以降選手の安全性を考えプロ野球の公式戦を行う球場のフェンスにラバーをはることが義務化 ルール化された年々 その素材が改良されるとともに今では 草野球しか使われないような地方球場でもラバーフェンスは当然の設備となっているまたインプレーであっても 選手の生命に関する事案が起きた時審判の判断でタイムをかけ ボールデットにできるという ルールが出来た確か 西岡剛の時に使われたと記憶しているこの2つのルール改正は まぎれもなく佐野仙好の闘志の功績ですしかしその 39年後の4月29日にプロ初ホームランを放った陽川尚将もふくめた今の タイガースの若手(中堅)選手にかつての 佐野と掛布のようなしのぎを削る 熾烈なレギュラー争いは 見あたらない今の若者に それを求めるのは時代錯誤か?古い人間が そう思わずにはいられない4月29日は昭和の日です